「都合の良いことだけ引き寄せる」発想に感じる根本的な違和感

昨日もちらっと書きましたが、占いとか予言とか好きな人多いですね。
僕にはそんな神秘的な能力は一切ありませんし、あんまり興味もありません。
それでふと思い出したのが、引き寄せの法則です。
こちらも世間では人気ありそうですが、個人的には微妙だなという感じです。
うさんくさいとかそういうことではなくて、その言い方はちょっとなぁという感じ。
要は、原因と結果がつながっているという話だと思うんですが、それって初めからそうなんです。
全てのあらゆることがそうなのに、自分に都合の良いことだけを引き寄せる=原因と結果が繋がっていると考えるのは無理があります。

いや、原因と結果がつながっているという表現は生ぬるいかもしれません。
僕の感覚では、原因と結果は同じもの、同時に存在しています。
そういう感覚だと、自分の都合の良いものだけを手に入れるって、よくわからないなぁって思います。

ま、それならそれで構わないし、それができる人もいるかもしれません。
だけどもう一つ考えてほしいことがあります。
それは、幸せとは何かってことです。

いつも書いていることです。
自分が今何%くらい幸せかと問われて100%幸せですという人は少ないでしょう。
例えば95%くらいかな。
概ね幸せだけど不満もあるという感じ。
じゃあ、5%の不満=不幸を解決したら100%幸せになるんでしょうか。

残念ながら、おそらく95%のままでしょう。
人類はずっとそうやって95%を100%にしようとしてきたんだけど、やっぱりどこまで行っても100%にはならなかったんです。
毎日美味しいものを食べて、安全で快適な家に住んで、毎日の重労働から解放されて、きれいな服を着て、自分のしたいことをして、すべての夢を叶えて…
だけど、ずっと95%なんです。
ブッダはある国の王子として生まれ、あらゆるものが手に入ったのにどこか満たされず、妻も子も身分も捨てて城を出ました。
なんだかみんなずっと同じことをしている?って思いませんか。

さて、引き寄せの法則で何を手に入れますか?
それは自由です。
手に入れてもいいし、手に入れなくてもいいです。
引き寄せでも引き寄せじゃなくてもいいです。
すべてをうまいこといかせたらいいです。
その時全てが満たされて100%の幸せになるでしょうか。
それともやっぱり95%のままなんでしょうか?
ぜひ想像してみてください。

幸せを追求することを、95%を100%にしようとすることを、僕らは飽きるまでするしかないみたいです。
〇〇な状態が幸せだ、に向かって走り続けるのです。
〇〇に入るのは、欲しいものか、健康かパートナーか、家族、やりがい、地位、自己実現、魂の成長…
何が入るかは人それぞれですが、それを飽きるまでしたときに小さな気づきは始まるのかもしれません。

その一つの鍵は、幸せとは何かということになります。
たまにそんなことを考えてみるのもいいかもしれませんね。

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