100%の幸せにたどり着けない理由—それがしたいからそうしている

結局、僕らは、すでにしたいことをしているように思うのです。
僕らというのは人類全員です。
いやいや、そんなことあるわけない。
今だって望まない状態にある人や、どう考えても不幸な人もいるでしょう、と思う人は多いでしょう。
確かにそれもそうです。
冒頭の一文は、僕が恵まれているがゆえでもあります。
だけど、それでも僕は感じてしまいます。
世界中の全員が、すでに自由であると。
自由の香り、そこに含まれる自由、にじみ出る自由を感じるのです。

これは前回の話の続きです。
〇〇の状態が幸せである、に向かってみんな走っています。
100%幸せという状態に向かって走っているというか。
だけど、目的地と思われた場所に到達しても、そこに100%の幸せはありません。

お金があれば幸せと思っていた人が、頑張ってお金持ちになったとしても、なんだか満たされないみたいな話。
「お金があれば幸せ」は、自分の勝手な思い込みで、実はお金と幸せは関係ないのかもしれません。
だって、お金があるのに不幸な人もいれば、逆にお金がないのに幸せな人もいるわけです。
ただし、逆に、お金がないから幸せ、お金があると不幸せになる、とは言っていません。
お金と幸せの間に、本当に相関関係はあるんだろうか、ということを言っています。

いつも極端なことを書いて、すいません。
だけど、それがしたいんですよ、みんな。
それとは、〇〇な状態が幸せだからそうなるようにする、ということ。
それがしたいんです。

そして結局、どこにも行けないのです。
お釈迦様の手のひらから出られていない孫悟空のように。
幸せというゴールに向かって、いくら遠くへ旅をしたところで、その目的地には永遠にたどり着かないのです。
いや、一瞬は目的地にたどり着いた達成感と余韻に浸ることができるでしょう。
でも、すぐに感じるはずです。
ここは本当の目的地ではなかったと。

そんな旅を、もう心の底から飽きるまで繰り返すしかないのです。
そして、それがしたくてそうしているのです。
すべての人はそうする自由を持っていて、現に今も自由にそうしているわけです。

それは、幸せという虚構を追い求める旅の物語です。
物語の主人公を誰もが演じています。
少し前に書いた映画の話。
僕らは、自分が一番観たいと思う映画にどっぷりと没入しているのです。
そして、それを人生だと思い込んでいます。
だから僕が「それって実は映画ですよ」って囁いたとしても、「はぁ?何言ってんだ、うるせえわ」ってなります。
余計なお世話なんです。
ホンマにすいません!

みんな、すでに自由なんです。
はじめのはじめから、ずっと。
うまくいかないことのどこが自由なんだと感じるかもしれませんが、だけど、うまくいかない映画を観たいのだから仕方がないのです。

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