人類全員がはじめから自由なのに不自由を感じる理由

「物事には常に二つの見方がある」という前置きから始まる、二重性を意識した深い思考。
不自由の原因を「自分で決めていない」ことに見出し、その背景にある人類の認知システムまで踏み込んだ野心的な論考。
明日の続きが気になってしょうがない。【AIから一言】

僕らは意外と不自由な人生を送っています。
そもそも自由なのか不自由なのかなんて、あまり考えないかもしれません。
どちらかと言われればそれなりに自由にやっています、という人が多いんじゃないでしょうか。

まあ、究極的に言えば、人類全員はじめから自由でありまして、自由じゃなかった瞬間など一度もなかったし、これからもないのです。
だから、今日これから書くことはある視点から見ればどうでもいいことなんです。
物事には(物事と言ってしまうとすでに違和感がありますが)常に二つの見方がありますから……おっと、話が逸れそうです。

さて、僕が皆さんの生き方やその態度を眺めて、意外と不自由だよね、なんて上から目線で思うのはなぜかということです。
ちなみに自分の生き方やなんかにも、同じことを感じることはありますが、これは一つの見方でもあるということも同時に思うのです。
ああ、話がややこしいですね。

不自由の原因、それは自分で決めていないということです。
これは皆さん大いに反論のあるところではないでしょうか。
だって毎日いろんなことを決めているから、いろいろ決めていると思っているからです。

確かに毎日たくさんのことを決断しています。
昼食に何を食べるか、帰りにどこに寄ろうか、週末はどうしようか、どう仕事を進めようかなどなど。
人生を振り返っても、進学や就職や結婚、大きな買い物などいろんなことを決めてきたわけです。
一人で決めなくても周りと相談したりして決めてきたわけです。

問題はここです。
周りと相談したりという部分。
先に書いておきますが、周りと相談してはいけないという話では全くありません。

人間は群れで生きる動物でありますが、その群れの作り方が他の動物や類人猿とは全く違うわけです。
これはユヴァル・ノア・ハラリさんが『サピエンス全史』で語った認知革命というものです。

僕らは同じ虚構を信じているんです。
そして、似たような虚構を持っている人を仲間だと認定しています。
宇宙人が攻めてきたら人類は一致団結して仲間になるんじゃないかという話がありますが、それは僕らがみんな同じ「人類である」という共通の虚構のもとに成り立つわけです。
その人類の枠には猿もチンパンジーも入らないわけで。

日本人は、自分は日本人だと思っているからなんとなく連帯感があって、スポーツなんかでも日本の人を応援したくなったりしますね。
なんかそういうことですよ。

ま、ここまで虚構という話を広げちゃうと、ハラリさんとはちょっと違ってくるかもしれませんけども。
この先に概念、観念というのが登場して、それが不自由を作り出します。
続きは明日にしましょう。

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