考える①

僕は自由に生きたいと思っています。
皆さんはどうでしょうか?
当然、自由が良いに決まっている、と思うでしょうか?
だけど意外と、自由に生きたくない、という人も多いかもしれません。
それは、自分が何をするべきか、どう生きるべきかを他人に決めて欲しい、という感じでしょうか。
そんな生き方はダメだ!とは僕は全く思いません。
なぜなら、そんな選択すら自由だと思うからです。

いやはや、言葉というのは難しいです。
ここまでの短い文章の中だけで「自由」という言葉に二種類の意味を持たせているように見えます。
先の段落内で最初に出てくる「自由」と最後に出てくる「自由」は違うような気がします。
こういうことをいちいち説明するのはめんどくさいのですよね。
書くほうも面倒だし、たぶん読むほうも面倒でしょう。
とりあえず今日は、最初の一文のほうについて書こうかと思います。

僕は自由に生きたいと思っているのです。
自由に生きるためにあれやこれやとやっております。
おっと、この時点で不自由な感じがしておりますが、大丈夫でしょうか?
という心の声は置いといて、まずは自由を阻害する足かせの存在に気づく必要があります。
自由に生きられない要因を自分でたくさん持っているのです。
それはいつも言っている観念というものの中にあります。
最初の最初から僕らは自由なんだけど、自分で不自由に規制しているわけです。
それは、生きるために、生き残るために、いつか必要だと思われたことで、過去の経験に基づいています。
自分の経験やシェアされた他人の経験も含めて、こっちの選択のほうが良いだろうという判断が常にあります。
だけど、その「良い」とは何か、ということです。

どんどん違う話になっていくように感じますか?
だけど、これが「考える」ということです。
根っこに向かっていくのが「考える」ということです。
そして最後は必ず同じ場所にたどり着きます。
一つの答えにたどり着かざるを得ないのです。

朝の時間がなくなっちゃったので、続きはまた明日にします。

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