よく書いていますが、今日も書きましょう。
才能とは、一人ひとりの差のことであると。
この世に同じ人は一人もいませんから、当然一人ひとりには差があります。
才能とは、その差のことです。
差は全員にありますから、才能のない人など一人もおりません。
そんな話は、もう耳だという人もいるかもしれません。
でも、何度でも書きます。
むらもがそういうことよく言っているよね、じゃなくて、実はそれって自分の話でもいいんだって気づいて欲しいからです。
ぜひ、皆様に才能を発揮していただきたいのです。
この世界はジグソーパズルみたいなものです、なんてことも同時にいつも書いています。
僕らはパズルのピースです。
一つ一つに凸凹があって、同じ形はひとつもありません。
凸凹はそれぞれのできることできないことを表しています。
みんなのできること、できないことを持ち寄って、ピタリとハマった時、この世界はどうなるでしょうか?
僕にできないことがあなたにできること、あなたにできないことが他の誰かにできること…。
世界はそうやって全部つながっています。
そんな世界、最高じゃないですか。
どう思いますか?
だから、まずは自分の凸凹を復活させる必要があります。
自分の凸凹に気づくのです。
自分にはできて、周りのみんなにはできないこと。
そんなこと、自分にあるのかな…なんて思う人もいるでしょう。
僕は断言します。
たくさんありますから。
気づいていないだけです。
他の人と差がない人など、この世に存在しないのです。
今の世の中の常識や教育によって、一人ひとりの凸凹は削られ、いびつなものになりました。
せっかくのできることをそんなことをやるなと言われ、できないことを無理に強制されています。
だから気づけない状態になっているだけです。
才能をぜひ復活させましょう。
ただし、残酷なことに聞こえるかもしれませんが、復活させた才能で周りに喜んでもらえるかどうか、要は今の社会の役に立てるかどうかは別問題です。
自分の才能が役に立てるかどうかはわからないのです。
それははっきり言って、運です。
例えば、パチンコにはまっている人ってどんなふうに感じますか?
ギャンブル好きな人っていますよね。
あんまりイケてる感じはしないんじゃないでしょうか。
別にそれを悪いとは言いませんが、なんと言うか、意識高い感じではありませんね。
だけど、あれも才能なんです。
それはパチンコで勝つ才能じゃありません。
続けられること、ギャンブルにはまれること自体が才能なのです。
少し説明します。
昔、原始時代、人類が狩猟採集をしていた頃を想像してください。
毎朝起きたら、今日も狩りに行ってくるぞ、って男が当時のイケメンだったわけです。
なぜ彼はイケメンなのか、彼はどんな才能を持っているのでしょうか?
このイケメンの正体、実は脳内のドーパミンの作用なんじゃないか、ってことです。
ドーパミンは何かに期待するときに出ます。
原始時代のイケメンにとっての期待とは、獲れるかどうかわからないけど、獲物を獲りに行くということです。
要は毎朝、成功するかどうかわからない狩りに行くことを想像すると、ドーパミンが出て気持ちよくなるタイプなのです。
ドーパミンはやる気の素ですから。
僕なんかだったら、そんな毎日毎日働かなくてもいいんじゃないですか?なんて言っちゃうかもしれません。
今日は行っても獲れない気がする〜、とか。
もうちょっと寝てていいですか〜、みたいな。
そんな人、全然イケてないですね。
だから僕は原始時代にもしも生まれていたら、社会のお役に全然立ちません。
はっきり言ってポンコツです。
だけど逆に、原始のイケメンが現代に生まれていたらどうなっているでしょうか?
現代人の生活には、不確定要素がすごく少ないのです。
今日の食料があるかないか、そんな状況なんてありません。
必要なものはすでにあるのです。
会社には行くけど、お金がもらえるかどうかわからない、なんて事はありませんよね。
会社に行けばお金がもらえるのです。
だから彼らは、ドーパミンの感受性の良さを、現代社会のこの毎日の中では発揮する場面がとっても少ないのです。
そんな人たちがギャンブルにはまりやすいのです。
パチンコに行っても勝てるかどうかはわからないですから。
でも、それを期待したときに、ドーパミンが出るのです。
それでパチンコ屋に足が向いちゃうのです。
スロットのレバーを引くときに、次は当たるかも、って期待でドーパミンが出てるのです。
実はギャンブルに必要なのは、勝てるかもしれないという期待感であって、実際の勝ち負けでは無いのです。
今、ギャンブルにはまりやすいのは、原始時代には村のヒーローでみんなが憧れるイケメンたちでした。
でも、そんな元ヒーローたちも現代に生まれれば、せっかくの才能を生かす場はあまりありません。
逆に、僕は原始時代はポンコツだったでしょうが、今という時代に生まれたから、こうやって張り切って、毎朝文章を書きまくっているのです。
僕が活躍できるのは、たぶん今しかないのです。
長くなりましたが、才能が世の中の役に立つかどうか、社会の役に立つかどうかは生まれる時代次第であって、実は運である、と。
残酷な話に思うかもしれませんが、それが事実なのです。
しかし、それが人類の多様性です。
いろんな人がいて、どんな時代にも人類全体としてみれば対応していけるのです。
だから、まずは自分の才能に気づくことです。
自分の才能が誰かの役に立つかどうかなんて、関係ないのです。
ほとんどの人は思い違いをしています。
才能とは何か役に立つもので、それを磨くとお金が稼げてくれるようになると。
それも実は関係ありません。
そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないということです。
才能を発揮することは、楽しいことだとワクワクすることだ、とも思っているかもしれません。
でも、それも最終的には関係がありません。
自分の才能を思い出して、世界というジグソーパズルのしかるべき場所にピタリと収まったときには、きっとわかるはずです。
そこには、幸せも不幸せもありません。
そんな概念すら消えるかもしれません。
今世で活躍できなかったとしても、今世はちょっとお休み、ゆっくりしたらいいさって、ただそれだけのことです。
みんながみんな、役に立てる人である必要もないのです。
長い人類の歴史の中で、役に立つ日はいつか来るのです。
そのときに精一杯頑張ればいいのです。
幸せとは一体何でしょうか。
どこかに幸せという型があって、自分をその型にはめようとしているだけ、という可能性はありませんか?
才能を発揮することは、自分を何かの型にはめることではありません。
才能を発揮する人生、とても幸せだと僕は思います。
だけど、その最中には、幸せも不幸せもないような世界が垣間見えたりするのです。
それはただの人生です。
