説明し続ける人

言葉の意味って
同じようで、みんな違うように思うのです。

言葉の意味は
辞書に書いてあるけども、、
いや、それはただの言い換えであって
言葉の意味ではなかったりもします。

言葉の意味って
もっとフンワリとしたもので、
掴みようがなくて。

みんなが同じ言葉を使ってはいますが
それぞれの言葉が何を指しているかは、
人それぞれ、違います。

いや、常識の範囲内ならば
人それぞれと言いつつも、
それは非常に近いものです。

みんなが共通の認識で暮らしている、
ってことです。

でも、常識から飛び出てしまうと
言葉の再定義が必要になります。

常識から飛び出た分を
従来の言葉を使いつつ
表現しなければならないのです。

逆に言えば、
言葉とは、常識の塊であります。

そこにみんなの「フツー」が
集まっているのです。

フツーじゃないことを考えるなら
新しい言葉をぶち上げて
それを古い言葉で
どうにかこうにか表現するしかないのです。

それはツギハギだらけで
土台のふにゃふにゃした建築物のようです。

どうやって建っているのか、
不思議なくらいです。

言葉というのは
そういうとっても弱い武器に見えます。

そして、そんなものしか
人間には用意されていないのだから、
困ったものなんです。

目次

それってどういう意味?

と、、よくわからないことを書きましたが、、

それとしょぼい百姓と
何の関係があるの??って感じでしょうか。

しょぼい百姓って
非常にめんどくさい概念であって
それを説明することを
僕はずっとやっているんです。

飽きもせずに
もう何年やってるんでしょうか。

そんなことを説明するだけで
僕の人生は終わってしまいそうな
そんな気がしていますよ。

そしてそれは、
ほとんどの人からしたら
どうでもいいことなんですが、
僕はそれを延々とずっと、
死ぬまで説明し続けるんです。

そんなことができる人、
僕以外にいるでしょうか。

しょぼい百姓みたいな概念を
思いつく人は
僕以外にもいるでしょう。

でも、それを飽きずにずっと
説明し続けられる酔狂な人が
この世界にほかにいるでしょうか、
ということです。

フツーじゃない

僕はそれを嫌だとか
全然、思わないのです。

むしろ、最近気づいたのですが
僕は世間のほとんどのことに興味がないのです。

一般的な現代人が
興味を持つことのほぼ全てに
僕は興味がありません。

ダハハハハ〜〜〜

普通はみんな興味のあることが
似通っているんです。

それが「フツー」ってこと。

そして、「同じ」言葉を使って
コミュニケーションしています。

でも最近気づいちゃったのですよ。
僕は、何もかもに
全然興味ないんだ、、って。

みんなが興味津々なことに
僕は全く興味がありません。

それはなんだか、寂しそうな感じがしますか。

いやいや、
それって意外と楽しいことです。

スッキリして、
自分が、そして世界が
なんだか透明になった感じがします。

一皮剥けたような感じ、
とでも言いましょうか。

やっぱり、
僕は自分の人生にしか
興味がないようです。

そしてどうも、
新しい転換期が迫っているような
気がするような、
いや、そんなことすらどうでもいいような、、

そんな気がしてるんですよ。

って、、
ああ、またポエムを書いてしまった。。

普通のお役立ち情報がなくて
毎度失礼しております。

ブオーっとピロール資材を撒いたり。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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