どうもこの頃の僕は、次のやりたいところへ向かっている感じがするのです。
大体いつも10年くらいでひと区切りついて、環境をガラッと変えたくなるというか。
まぁ、簡単に言えば、飽きるというか。
次にやりたいことは、おぼろげにずっとあるんですが、最近はもう少し具体的なディテールを想像しています。
僕がいま興味を持っているのは、生活を少しずつお金に変えていくということです。
と言っても、生活を切り売りするという意味ではありません。
時給をもらって、仕事することもできるだけしたくありません。
生活とは、本来みんな違うものです。
その人の才能が形になったものです。
才能とはその人のできること、できないことの集大成であり、同じ才能の人は一人もいません。
だから本来は、同じ生活の人は一人もいないはずなのです。
だけど、世の中を眺めるとみんな似たような生活です。
それにはいくつか要因がありますが、みんなお金で毎日の課題を解決している、という事があります。
そんな毎日が悪いわけではありませんが、とにかくお金を用意できればオーケー、という思考なのです。
お金を稼ぐスキルとか、先祖代々の資産があるとか、周りにお金持ちがいるとか、お金が入ってくる仕組みとか、そういうことだけが重要視されています。
お金に関して才能がある人なら、それもいいかもしれません。
だけど世の中、そんな人ばかりではありません。
その人のできること、できないこと、才能をもう少し生かした毎日でもいいんじゃないか、という気がするのです。
いつも通り、前置きが長くなっております。
生活とは本来、それぞれの才能が形になったものであって、みんなもっと違うものになるのです。
それは自分自身の表現なのです。
生きているだけで、それ自体が表現なのです。
そんな独自のものが常にそこにあるのだから、それをコンテンツにして、少しずつお金に変えていけないか、ということを思っているのです。
僕の場合だと、田んぼをしています。
その田んぼは、あんまり誰もしていないようなやり方です。
できたお米をリアルやネットで販売しています。
ものを販売するには、何かしらの宣伝が必要ですから、YouTubeやブログ、メルマガ、クラウドファンディングなどいろいろやってきました。
あと本も書いています。
そういうことが僕の才能のひとつであって、そういうことをする生活が僕という表現につながっていくということです。
それを今からさらに推し進めていきたいのです。
具体的に考えられることとしては、田んぼのワークショップ化。
小さな田んぼを自分でしたいという人は少しずつ増えていますから、需要は少しくらいあるような気がします。
そして、ワークショップの内容を動画にします。
座学や質疑応答なんかも良いでしょう。
文章コンテンツにしてもいいですね。
そこからお米の販売にもつなげられそうです。
この文章を毎日毎日書いているのですが、例えば、有料メルマガにするとかも考えられます。
メルマガの内容をたまに動画で解説するのもいいです。
そのうち、メルマガを再構成して、本にしても良いでしょう。
リアルなお話会とか座談会もできそうです。
玄米の炊き方ワークショップ、塩みりんや寒麹の作り方ワークショップというのもしたことがありますので、その方面も進めてみたいですね。
いろいろあげましたが、これらは全部、僕が生活の中でしていることなのです。
田んぼで米を作ることも文章を書くことも、米を炊くことも、発酵食品も全部そうです。
これが生活をお金に変えていくということです。
才能を少しずつお金に変えていくのです。
メディアミックスとでもいいましょうか、自身の独自の生活をいろんな方法で表現するのです。
いろんなコンテンツを作るのです。
そのうちに、コンテンツ同士が相互にリンクしていきます。
僕は好きなこと、興味のあることをずっとやっていくだけです。
生活をコンテンツにして、お金に変えるスキルが身につけば、死ぬまで生きていくという、なんだか言い方は変ですが、そういうことが可能になってくる気がします。
歳を重ねるごとにできることやできないこと、興味のあることや興味のないことは変わっていくでしょうから、コンテンツの中身も少しずつ変わっていくでしょう。
コンテンツが変わっていけば、リーチする相手も変わっていくでしょう。
それが僕の思う「百姓」なんです。
なんでもやるのです。
僕はたまたま、その中心に田んぼというのがありますが、何でもやる百の仕事を持っているということです。
そんなことを意識し始めて、もう5年ほどになります。
もうすぐ、何か重要なものを掴めそうな気がしています。
たぶん、それが掴めたら、僕は死ぬまで生活するだけになるんじゃないかと思ってワクワクしています。
生活と言っても、退屈な毎日ではありません。
自分の才能をこれでもかというくらいに発揮する毎日です。
そうやって、まさに「田舎で米を作ったら死なない気がしてきた」を体現できるのではないかと思っています。
それが僕という人生の表現なのです。
ま、そんなにうまくいくかどうかはわかりませんけどもね。

小さな田んぼワークショップのものです。
