僕らは奴隷です。
それは比喩ではなくて、
文字通りの意味です。
現代、奴隷制度が見えにくくなって
気づかない人が多いだけで、
僕らは生まれてこの方、ずっと奴隷です。
奴隷と言われると、その言葉がきつくて、
嫌な気分になる方もいるかもしれませんが
そんなことを誰も教えてくれないのです。
当たり前ですが、学校でも教えてくれません。
自分で気づくしかありません。
そんな事実を受け入れて、向き合って、
その上で自分に何ができるのか、
何をするべきで、何をするべきでないのか、
決めていけるのなら、
一番いいのではないでしょうか。
そんなわけで、
この記事を書きます。
イナコメという本を書きましたが
この辺りの理解がないと難しいのかもしれない、、
なんて思ったりもしてまして。。
中世、近代、現代、何も変わらない
中世なんていう
とんでもない時代がありました。
奴隷制度や人身売買、
不条理で理不尽なことが
まかり通った時代があった、と
どこかで習ったことでしょう。
でも、産業革命を経た近代、
そして情報革命真っ只中の現代社会を
よくよく見てください。
なんにも変わっていないのです。
相変わらず、
世の中は馬鹿なことばかり、
理不尽で不合理でわけのわからないことだらけ。
科学技術が発展して
どれほど豊かになったのでしょうか。
それでも、世界は
ずっと同じことを続けているようです。
だけど、
世界で何が起きているか、
今から何が起こるのかは、
ここでは問題ではありません。
奴隷にとって、
そんなことはコントロールできる範疇を
完全に超えているからです。
それらに直接関わることは
残念ながら僕らにはできません。
なぜなら、「僕らは奴隷だから」です。
奴隷の扱いが上手くなった
自分たちが奴隷だと言われても、
そんなこと納得できない、って人が多いでしょう。
奴隷制度はうまいこと隠されましたから、
多くの人にはそれが見えないのです。
奴隷というと、どんなイメージでしょうか。
ムチで叩かれ、重い荷物を運び、
汚い言葉で罵られ、自由はなく、
一生労働を強いられる。
そんな感じでしょうか。
だけどそれは、
ずいぶんと古い奴隷のイメージです。
現代の奴隷はいわゆる自由を与えられています。
好きな服を着て、好きな場所へ行って、
好きな生活をして、好きなことをしているように見えます。
その「好きなこと」のほとんどは幻想です。
そう思わされているだけなのですが、
見せかけの自由がある、というこの段階で
ほとんどの人が騙されてしまいます。
この記事を読んでくれるような人は
大丈夫でしょうけども。。
しかし、なぜそんな自由を
わざわざ与えるのでしょうか。
それは、、
そのほうがよく働くから、です。
ここで少し、
奴隷の管理者の気持ちになってみてください。
そんな気持ち、想像もしたくないかもしれませんが。。
そう言わずにちょっとだけ。。
もしも僕が、
奴隷の管理人という仕事を
していたとしたら、
奴隷が文句も言わず、
反乱も起こさず、
よりたくさん働いてくれたほうが
いいに決まっています。
奴隷の生産性を高め
歯向かってこないように躾けることが
僕の仕事です。
奴隷が文句を言いはじめたり、
群れをなして結託したり、
それ以上に面倒なことがあるでしょうか。
だけど、ムチで叩いたり、
汚い言葉を浴びせたり、
無理矢理に言うことを聞かせ、
働かせるのだって大変なのです。
どうせ管理するなら
楽に効率的に管理したいでしょう。
そんな管理する側の気持ちを
ちょっと想像してみてください。
だから、
奴隷に見せかけの自由を与えてみたのです。
そしたら、どうなったか。
奴隷たちは
自らすすんで仕事をするようになりました。
管理が楽になったのです。
ムチを振るう必要もなく、楽ですね。
そしてそれは、今までよりも
余計に効率よく搾取できるようになった、
ということです。
楽にならない生活
自動車が一般に普及し始めたころ、
こんなことが言われたそうです。
「今まで泊まりがけで行っていた仕事が
日帰りで済ませられるようになりますよ。
だから、その分、家族との時間に当てたらいいですね。」
仕事を早く終わらせられるから
そのぶん、生活にゆとりが出るよ、、と。
だけど、そんなことにはなりませんでした。
前よりも忙しくなっただけでした。
コンピューターがオフィスに普及し始めた頃、
こんなことが言われました。
「めんどくさい事務処理、計算は
もうコンピューターがやってくれます。
僕らは時間が空きますから、
好きなことができるようになります。」
それでもやっぱり、
そんなことにはなりませんでした。
ますます忙しくなっただけ。
そして今、
据え置き型のコンピューターから
スマートなフォーンの時代になって
仕事はいつでもどこでもできるようになりました。
隙間時間に仕事を済ませて、
家族との時間は増える??
のでしょうか。
言わずもがな、
そんなことになるわけがありません。
ますますもっともっと、
忙しくなるだけです。
そろそろ、そんな実感ありませんか?
* * * * *
どれだけ仕事の効率を上げても
僕らの生活にゆとりが出ることはありません。
生産性はどれだけ上がっているのでしょうか。
大量に物を作り、
大量のデータを処理し、
スピーディに仕事をこなしても、
何も変わらない、むしろひどくなる一方です。
* * * * *
江戸時代、
この国の8割の人はお百姓さんでした。
今では農家は人口の1%です。
生産性は
いったい何十倍になっているんでしょうか。
それでも、僕らの生活にゆとりは出ません。
おかしいと思いませんか。
ピケティは「21世紀の資本」という本の中で
「r>g」と言いました。
rは資本収益率、
gは経済成長率、です。
経済がいくら成長しても
それよりも資本家が吸い上げる方が大きい、という意味です。
僕らが頑張って生産性を上げて
価値を作って作って作りまくっても、
僕らは豊かにはなりません。
搾取される率がその分増えるから、です。
だから、生活は楽にならないのです。
これ、なんだか笑っちゃうくらいに
当たり前の話なんですが、、
そんなことを分厚い本の中で説いたのです。
僕らは奴隷なのだから、
そんなのは当たり前の話なのです。
【次回予告】奴隷は嫌ですか
次回は僕らが奴隷であり続ける理由を
お話します。
僕らには鉄の足かせなんて
ついていません。
ムチで叩かれることも
汚い言葉で罵られることもありません。
それなのに、なぜ、
奴隷であり続けているのでしょうか。
それは、僕らには
「お金」という足かせがついているからです。
あ、、
ちなみに僕はピケティとか読んでませんよ〜〜
あんなぶっとい本、読めるわけございません。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。
