微妙に昨日からの続きです。

真理という言葉で真理を表せたら、どんなに楽なことでしょう。
でも、全然そんなことできないのです。
真理という言葉を辞書で引いてみても、そこに意味は載っていません。
違う言葉で言い換えたものが書いてあるだけです。
よくよく考えれば、言葉を言葉で言い表すってできないのです。
一体何のこっちゃという感じですが、言葉で完璧に表現できること、ものは一つもないのです。
それなのに僕らは、言葉の本当の意味がわかる気がするのだから困ったものです。
なんだかよくわからないことを書いていますが、こういう事は書いている僕も意味がわからなくなってきます。
正直、言葉の謎は僕にはよくわかりません。
わかった気がしてそれを掴もうとしても、するりと抜けていってしまうのです。
真理という言葉で、一体何を表しているのかわからないのに、その意味はなんとなくわかる気がするし、そういうものが存在するという気もするのです。
だから、真理を探求する、みたいな言い方もできるのです。
真理って何かわからないのに。
自分で書きながら、今日の文章は滑っている感があります。
自分でもよくわからないことを知ったかぶりで書いているみたいな。
これはよくありませんね。
書きながら今、全然しっくりきていません。
ただ、真理が真理という言葉で表現できないのはその通りで、それだからこうやって文章を書きまくって、あーでもないこーでもないとこねくり回しているのです。
なるべく答えの近くをかすめるような文章を書いて書いて書きまくって、もう答えはそこにしかないやろ!って想像してほしいのです。
言葉にできないものを伝えたいと思ったら、それ以外の方法は無いように思うのです。
だから、一番大事な、本当に伝えたい事は行間にあるのです。
言葉で表せないのだから。
もう少しぐだぐだ書きます。
真理という言い方は好きじゃありませんね。
この文章の初めにそう書いちゃったから、この文章ではずっと使ってますけども。
宗教色が出すぎます。
「本当のこと」とか、それくらいの方がフラットに考えられそうな気がします。
真理、真実、本質なんて書くより、僕は好きです。
難しい言葉を使うと、何か難しいことを言ってるんだって感じになっちゃう気がするのです。
でもわかってしまえば、全然難しい話じゃないのです。
大人よりも子供の方がわかっちゃうかもしれませんよ。
そんなの当たり前じゃんって。
だけど、そういう本当のことを大人になってから探求するのがオツなんです。
なんでもそうですが、一旦離れないとそのありがたさはわからないものでしょう。
本当のことって、ずっとそこにあるのです。
だから離れたことなんて一度もないのに、大人になるにつれてそのことを忘れてしまうのです。
それが一旦離れる、ということ。
なんだかおかしいでしょう。
人生という旅、おつかい、冒険とでも言いましょうか。
それが楽しいうちは良いのですが、疲れちゃって本当のことを探し出すのです、大抵の場合は。
だからこそ「本当のこと」の価値が増すというか、ありがたみが増すというか、達成感というか。
いや、またなんか違う感じになってきました。
本当の事について意識的であることができる、ということです。
一旦離れないとそうはならないのです。
今日は駄文レベルが高かったです。
そんな感じですいません〜失礼しました。

