才能についての残酷かもしれない話

今日は才能について残酷な話をします。
今までも、才能を発揮するからといって、誰かの役に立ったり社会的に認められるわけではない、と散々書いてきました。
才能を発揮して誰かの役に立つこともあれば、役に立たないこともあります。
それは才能を発揮することとは関係がない、ということです。

さて、今日の本題です。
YouTubeで岡田斗司夫氏が言っていた話です。
動画のリンクを貼っておきますので、興味があれば見てください。

ある実験で、努力できること自体が生まれ持った才能である、ということが確認されたのです。
お互い養子に出されて、違う環境で生活している一卵性の双子たちを調査した結果です。
彼らは片方は裕福な家、もう片方は経済的に恵まれない家で育っていました。
二人にはあるクラシックの楽器を練習してもらいました。
クラシックの楽器の練習は、なかなか地味で根気のいることです。
経済的に恵まれた環境で育った方が、楽器をちゃんと練習しそうな感じがします。
だけど、実験結果は双方に差がなかったのです。

この実験結果を考えると、人のできることは生まれた時に既に決まっているのかもしれません。
努力しようにも努力ができないのは、生まれ持った個性だということです。
何かができるというのは、ただの偶然なのです。
残酷に聞こえる人もいるでしょう。

才能を発揮して社会に認められている、いわゆる成功者は、この実験結果をなかなか認められません。
なぜなら、自分に才能があったとしても、今までたくさんの労力や時間を使って努力してきたことに変わりはないからです。
だから、みんなも自分がやってきたやり方を真似したら結果が出せるよと言って、オンラインサロンなんかを始めたりするのです。
みんなができないのは努力の量やそのやり方が間違っているからだ、と。
でも、例の実験が指し示すのは、人によってはその努力がそもそもできない、ということです。

この話を聞いたとき、僕は衝撃を受けました。
僕も割といろんなことができて、こういうふうに考えて、こういう練習をすればできるのに、なんでみんなやらないんだろう、と思っていた方だからです。
そして、この実験結果を受け入れることは、自分が努力の結果、いろんなことができるようになったという事実を半分否定することになります。
そもそも、努力できるかどうかが最初から決まっていたのです。
だけど、みんなが遊んでいる間も、サボっている間も、自分は練習を続けて努力してきたのですから、その思いだけが残るのです。

いろいろ思うところはありますが、結局、自分にできることしかできません。
そして、みんなの才能を合わせると、ジグソーパズルのようになるのだと思ったのです。
自分が生まれてきたことにはやっぱり意味があって、結局それしかできないようなのです。

もちろん、それをするかどうか、才能を発揮するかどうかは自由です。
でも、動物や植物や微生物の世界を眺めると、みんな自分のできることだけを黙々とやっているように見えます。
そして、それだけで世界は完璧に回っているのです。

いろんな意味で、これは諦めです。
受け入れるしかありません。
僕は受け入れるのに少し時間がかかりましたが、受け入れてしまえばすっきりします。
頭の中がシンプルになって僕は良かったと思いますが、皆さんはどう思うでしょうか。

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