意味の意味【哲学WSってなんですか】

哲学ワークショップなるものをやっております。
一体どんなワークショップなの?と思われるかもしれません。
今日はそういうことを書いてみます。

まず、僕のワークショップでは、何かについて議論しません。
先日、哲学的な会話にAIを使っているという、AI研究者の記事を読みました。
「将棋の世界ではAIが登場しても共存が成り立っているけれど、同様のことがイラストとAIで成立するか? をAIと議論しました。」と。
僕としては、知らんがな、という感じ。
そんなことは自分で「考えて」ください、って感じ。
AIに聞くな、という意味ではありません。
何か議論することを哲学的と呼ぶなら、僕のやってる哲学ワークショップはやっぱり謎のワークショップです。
まあ、難しい議論は僕の頭では分からないだけ、ということもあります。

僕が、誰かの思想を誘導することはありません。
できません。
いや、そうなっちゃうことはあるかもしれませんが。
誰かに、こういう考え方をしたらいいんじゃないか、とか言えません。
「何がいいか」なんて分かりませんから。

え? じゃあ哲学ワークショップは何をするの? そんなワークショップには意味がないでしょう。
と思うなら、まさしく、そう思う人にこのワークショップは意味がありません。
まさに、その人がそう思う、その通りです。
それは事実で、その人にとっての真実です。

だけど、哲学ワークショップでは「意味がない」の「意味」とはなんですか、を問います。
意味の意味がわからないのなら、意味がないの意味もわからないのです。

意味なんて人それぞれでしょう、と思うでしょうか。
それを問うのです。
それを「考える」と呼びます。
ここでの「考える」は一般的な「考える」の意味とは違います。
「思う」と「考える」はここでは完全に別のものです。

その探究の先には言葉にできないものがあります。
それを「気づき」と呼んでいます。
そして、本当の意味で考えるためには気づきが必要です。

究極的には考えると気づきは同義です。
あらゆるものが気づきと同義になります。
気づきは言葉で表せません。
そして、僕があなたのかわりに気づくこともできません。
だから、会って話をする必要があるのです。

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2階からの景色。これが今冬のマックスかな?
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