本質とそうじゃないもの

昨日みたいな話はスイスイ書けます。
いくらでも書けるのだけど、あんまり長くなるのも読みにくいですから、途中で終わらせたりしています。
ところで、こういう話は本質的な話だと表現されたりしますが、僕はそうは言いたくないなぁと思っています。
何かを本質と言っちゃうと、他のことの価値が下がっちゃうような気がするからです。
価値なんて個別にそもそもないのでは、という話なんですけど、そこが伝わりにくくなってしまうのです。

なんとなく、本質以外は嘘です、みたいなニュアンスが出ちゃいませんか?
これが本質ですと言うと、それ以外、他のものは2等以下に格下げ、みたいな。
もともと格の違いなんてなかったのに、何かを本質であると定義した瞬間に、本質でないものを生み出してしまうのです。

かけっこで1等賞になる子がいます。
1人しかいないのに1等賞とか言うのは変ですから、1等賞と言った瞬間に2等から最下位までの子が出現します。
逆に、2等から最下位までの子がいないと、1等賞は存在できません。

あらゆることがそうです。
比較対象がないと、その概念は存在できません。
いつも通り、究極的に言えば、不幸せがあるから幸せがある、死があるから生がある、他者があるから自分がある、ということです。

そして概念は僕らの頭の中にしか存在していません。
それをそう思っているから、そうなんです。
さらに、概念の中で優劣の判断基準が生まれます。
それが観念です。

なんだかこの世は夢か幻か、みたいな気分になってきますか?
ちょっとむなしい、悲しい、寂しいような気持ちでしょうか。
それも、夢や幻と現実を比較して、現実の方が価値がある、逆に夢や幻なら価値が落ちる、と判断しているのかもしれません。
そうだとしたら、それもまた観念です。

夢と現実、本質とそうじゃないもの、1等と最下位……。
どちらかにより価値があるような気がしています。
そんな気がすること、そんな観念を持っていることを、なんとなく悪い気がするのもまた同じく観念ですね。
ああ、この世は全部観念です。

観念は頭の中にしかありません。
それは、この世には存在しないということなんでしょうか。
いや、僕はそう思いません。
なぜなら、頭の中に「在る」からです。

夢も現実も、両方とも在ります。
夢は頭の中に、現実は目の前に、両方ともちゃんと在ります。
全部がちゃんと在るんです。

それは、僕らの肉体も心も全部、一切合切が宇宙の一部であるということです。
あれ? これ、当たり前の話ですか?
見えるものも見えないものも、ちゃんとそこに在ります。
だから、心配しなくても悲しくならなくても大丈夫です。
オールオーケー、ちゃんと全部がここに在るんです。

価値の有無ということを考えて考えて考えて、、
その先に待つものはそういうことです。

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