昨日から「考える」ということについて、書き始めました。
これは、僕の大好きな面白いテーマなんですけど、いや〜難しいですね。
「考える」ときに、観念という概念は必須だと思っているんですが、それは耳タコでしょうから、今日はやめときましょうか。
なんだか、やる気がいまひとつ出ない日もあるんです。
まぁ、今日は思いつくまま適当に書いてみます。
前回、考えた先に一番根っこには何があるか、ということをちらっと書きました。
考えて考えて根っこをたどった先、そこには常に一つの解があります。
いつも、一つの場所にたどり着くのです。
それは、自分という存在の謎です。
自分というものが何なのか、ということです。
そして、いくら考えても、いわゆる僕らの思う「自分」というものは存在しません。
それは、存在できないのです。
でも、自分は自分であると、自分では思っている。
そういう観念を持っているのです。
言い方を変えます。
考えた先にたどり着くのは「自分」という観念です。
「自分」という意識です。
自分が自分であると思っている、まさにそれのことです。
でも、自分なんてどこにも存在できない。
だけど、それは在る、と僕らは思っているのです。
それは思い込みとも言えるでしょう。
ないものを在ると思っているのですから。
もう少し正確に書く必要がありますね。
存在しないのは「自分」ではなく、自分と他者を分ける境界線のことです。
自分が自分だと思っている「自分」と、それ以外の宇宙の間にあるはずの境界線がないのです。
僕らは宇宙の中にいますが、宇宙と自分を分けることはできません。
なのに、自分は、この皮膚の中に、頭の中に、心の中に存在すると思っています。
それは本当でしょうか?
それを「考える」のです。
そう言えば、「自分」という漢字は、自ら分ける、と書きますね。
こういう漢字の話ってあんまり好きではないのだけども、今ふと思いつきました。
自らとその他を切り分ける境界線を作らないことには、自分というものは存在できないのです。
そして、その境界線を作っているのは他でもない自分自身だ、ということです。
続きはまた明日にしましょう。
わんこそばのように、ちょっとずつ書いてみましょうかね。
毎晩8時・むらもラジオ更新中〜

