毎日、勤めに出るわけでもなく、新聞を読むわけでもなく、日誌をつけるわけでもないので、日付の感覚が全然ありません。
気がつけば12月になっております。
ちなみに、実際にこれを書いているのとブログに掲載されるのとは、1週間ほどタイムラグがあります。
12月といえば、冬の始まりの季節でして、その愚痴は昨日散々書きましたので、もうやめておきますが、今月は楽しみなイベントがあります。
それは、新しく始める「むらも的・哲学ワークショップ」です。
この記事がアップされる頃には、第1回目は開催済みかもしれませんね。
このワークショップでは、なかなか普通はやらないようなことを企んでいるのです。
非常にチャレンジングな企画といいますか。
参加者に気づいてもらうことが、ワークショップのゴールです。
何に気づくか、それはその人によります。
何のために気づくか、それは考えるということのスタート地点に立つためです。
なぜ考えることが必要なのか、それはいろんな視点から説明できますが、ここでは「未来を今から生きるため」と言っておきましょうか。
自由に生きるため、世のため人のために生きるため、楽に生きるため…などなど、そこにいろんな意味を見出すことができます。
とにかく、気づきが必要です。
だけど、この気づきというのが厄介なのです。
いつ現れるのか、いつやってくるのか、わからないからです。
それをワークショップの中でやろうというのだから、それは非常にチャレンジングで、ほんまにそれできるんかいなと思ってしまうような企画なんです。
気づきは、出会い頭の事故みたいなものです。
一瞬前まで、そんなことが起こるとは誰も予想もしていませんし、予想できません。
それはあまりに突然で、誰もコントロールできないのです。
だけど僕は、それを起こせないかと思っているのです。
どうやってそれを起こすか?
それは言葉の力です。
ただし、これもすごく難しいです。
例えば、僕がすごいことに気がついちゃって、その気づきの中身を誰かに熱弁したとします。
だけど、そのとき、その熱弁は、もう気づきではありません。
言葉による模造、ただの情報です。
気づきそのものをそのまま共有することはできないのです。
そしてもう一つの問題、それは言葉というのは非常に個人的で、かつ曖昧なものであるということです。
同じ日本語、同じ単語を使ったとしても、人によって何を指し示しているかが違います。
辞書に言葉の意味は書かれていません。
そこには言葉の置き換えがあるだけです。
このブログや本で必死こいて書きまくっても伝わらないのは、その文章が「僕の」言葉を使って書かれているからです。
だから、実際に会うことが必要です。
実際に会って話をすれば、その人がどんな意味で言葉を使うかを僕は察知できます。
これは多分、僕の才能です。
言葉の隙間、行間から観念がにじみ出るのがわかるんです。
そして、にじみ出た観念から、その人がどんなふうに言葉を使っているかがわかります。
そこから、その人の言葉を使ってその人を案内するのです。
それは、今まで意識したことも考えたこともなかった、ずっとそこにあるのに気づいていなかった場所、かもしれません。
知らない場所に連れてこられて、どう思うかはその人次第です。
何も思わない人もいるでしょうし、意味が全然わからない、全く興味のない人もいるでしょう。
そして、何か、気づきのきっかけになる人もいるかもしれません。
いや〜こんなこと、本当にできるんでしょうか。
でも、できたらめっちゃ面白いと思うんですよ。
この記事がアップされる頃には、何かしらの結果があるはずです。
どうなることか全然わかりませんけども、僕は楽しみにしているんです。

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