この世界はジグソーパズルのようです。
動物や植物や微生物を見てください。
それぞれが完璧に自分の役割をこなしています。
できることをして、できない事はしません。
それでも全体としてみれば、何の無駄もなく、世界は完璧に運行されています。
翻って、僕たち人間の作る世界はどうでしょうか。
効率は悪く、問題だらけのように見えます。
人間さん大丈夫ですか、と言いたくなるような、完璧とは程遠い世界です。
どうしてこうなっちゃったのか、わけのわからない世界と言ってもいいでしょう。
本当は人間にだって、完璧な世界は作れるのです。
でも現状はそうなっていません。
それは僕らの持っている観念によるものです。
善悪の判断がそうさせるのです。
これは善いことだ、そっちは悪いことだ、というやつです。
そういえば、アダムとイブの話もそんな感じですか。
僕らは、物心ついてからというもの、あらゆる観念を拾ってきました。
生きていくためにそれが必要だとそのときに思ったからです。
その観念の塊が、人間の世界をグダグダにします。
それは動物や植物や微生物が作る循環の世界とは全然違います。
では、僕らが観念を全部捨ててしまえば、この世界は完璧になるのでしょうか。
確かに、動物や植物や微生物が作る自然な形のようにはなるでしょうが、そのとき人間は人間ではありません。
観念を全て捨てる事は、人間が人間である理由を捨てることになります。
これって一体、どういうことなのでしょうか。
人間は世界を破壊することしかできないのでしょうか。
動物や植物や微生物とともに、循環の輪の中に戻っていくことはできないのでしょうか。
今日はそんな話を書きますが、ここから先は、単なる僕の憶測に過ぎません。
僕は、そう感じるというだけの話です。
動物や植物や微生物が作る世界を仮に「循環」と呼ぶことにします。
循環は完璧です。
何ひとつ無駄がなく、全てがスムーズに流れていきます。
人間は、観念を拾うことによって、循環から離れていきました。
それはなんだか悪いことのように聞こえるかもしれませんが、すべてのことに善悪はなく、観念を持つこと自体にも善悪はありません。
逆に言えば、善悪は観念の中にしかありません。
観念を持つ事は、人間だけに与えられた唯一無二の力なのです。
人間にしかない特別なものなのです。
この特別な力によって、何が成し遂げられるのでしょうか。
その力の意味を考えてみましょう。
それは、完璧なこの世界や、完璧な循環のありがたさがわかる、ということです。
その素晴らしさを完全に理解できる可能性がある、ということです。
動物たちは、循環の一部であり、いや、循環そのものと言って良いでしょう。
完全に循環の当事者なのです。
循環と一体化していると言うか。
自分がそれそのものだったら、自分という循環の素晴らしさ、完璧さはわからないのです。
人間は、観念を持つという独特の能力によって、循環から一旦離れました。
そして、いつか気づくことができます。
自分も循環の一部である、いや、循環そのものであると。
一度手離さないと、そのありがたさや素晴らしさはわからないものです。
よくある話です。
「君の素晴らしさが、君と離れてからやっとわかったんダァ〜」みたいなセリフとか、よくありますよね。
あれです。
あったかいお風呂にだぶーんと浸かって「気持ちええ〜〜」ってなるのは外が寒いからです。
熱帯に住んでいる人にこの気持ちは多分わかりません。
トイレを我慢して我慢して我慢してもう無理〜ってなったときにするオシッコは、なぜあんなに気持ちいいのか。
まぁ、そういうことです。
下世話な話ばかりでアレですが。
幸せは、そうでない状況がないと感じることができません。
幸せの中にどっぷり使っていては、それが幸せであるということにすら気づけないのです。
幸せしか経験したことのない人がもしいるのなら、その人は幸せという概念すら持っていないのです。
人間は、この完璧な世界、宇宙の循環から一旦離れることによって、完璧なその世界を認識して味わいながらもそこに戻るという、ほかの何者にもできない偉業にチャレンジすることができます。
だから、ドラクエみたいなものなんです。
ゲームをスタートしたら、そこには少し困難な状況があります。
王様は困っているし、姫はさらわれているし、自分は弱いし、お金はないし、武器も持ってないし、街の外のモンスターは強いのです。
でも、少しずつ自分を鍛え、敵を倒し、ゲームを進めることができます。
逆にゲームをスタートしても、王様は困っていないし、姫はさらわれていないし、レベルはマックスだし、お金はいくらでもあるし、武器も最強だし、モンスターも一撃で倒せちゃう、そんなゲーム楽しいでしょうか。
崇高な話を崇高なまましようと思っていましたが、なんだか下世話になってしまいました。
なんか失敗したなぁ。
でも、崇高で完璧な宇宙の話と目の前の下世話な現実は、全く同じなのです。
それらは、完全にイコールなのです。
木を見て森を見ず、なんて言葉もありますね。
下世話を見て宇宙を見ず、なんて言っても良いのです。
そう思うと、何か楽しく感じませんか。
あるいは肩の力が少し抜けませんか。
宇宙は完璧で、ずっと完璧なまま、僕らの帰りを待っているのです。
慌てる事は全然ありません。
すべてオールオーケー、宇宙は全てを受け入れてくれます。
大丈夫です。
だって僕らは、果たしてそこから離れたことがあったのでしょうか。

