この世界に悪い人はいません。
この世界に住む全員が、正しいことをしています。
なんて言うと、そんなことないでしょう、と思うかもしれません。
でも、ある視点で見るとそれは事実なのです。
みんな自分にとって正しく生きています。
むしろ正しい生き方しかできません。
例えば、会社で仕事を命じられたとします。
その仕事はどう考えても間違っています。
会社の方針と違うとか、世の中の役に立たずにむしろ害になるとか、全然儲からないとか、理由はいろいろでしょうが、その仕事は間違っていると感じています。
それでもその仕事を実行する時、それは正しいことなのでしょうか。
多分、皆さんが疑問に思うことって、そういうことじゃないでしょうか。
だけど、間違った仕事をすることも、その人にとって正しいことなのです。
それは何故か。
その人は、それをするからです。
そこには必ず理由があります。
例えば、家族のために金を稼がなければならないからとか、会社の命令は絶対だからとか、男たるもの仕事をするのが当たり前だとか。
そういうことです。
それらの理由をもとに正しいと思っているのです。
ちょっとわかりにくいですか。
間違った仕事でも、家族のためにするのが正しいことだ、と思っているのです。
人生は全てがそうなっています。
人は正しいことしかできません。
逆に間違った仕事を命令されて、そんな仕事できないと反発する人は、間違った仕事はできないと反発することを正しいと思っているのです。
いつも読んでくれている人は、これが観念についての話だ、ということがもうわかるかもしれません。
そう、これは観念の話です。
一人一人が持っている観念から世界や人生を眺めたとき、すべては正しいし、人は正しいことしかできないのです。
だから、人生は99%以上、観念によってコントロールされています。
観念が目の前の出来事を判別して、行動力や思考を瞬時に決めています。
無数の観念は、人生のプログラムです。
そのプログラムによって人生はできています。
観念が人生を自動運転しているのです。
だから、正しいとは何かということを考える必要があるのです。
いつどこで拾ったか、もう覚えていないような無数の観念にコントロールされている人生で良いのでしょうか。
その観念たちが、正しいかどうかの検証もせずに。
だって長い人生の最後の最後で、俺の人生を間違ってたなんて思っちゃったらどうしますか?
もうさすがに取り返しはつきませんよ。
そんなことにならないために、正しいとは何か、それを先に考えておいた方が良いように思うのです。
さて、最後の僕の主張にも観念が含まれています。
そこに観念を探してみてください。
言外に僕は何を思っているのでしょうか。
それは宿題にしましょう。
続きはまた明日です。
いろいろ考えてみてください。
