自分の才能を発揮するべし、ということを毎度書いております。
それがすなわち、世の中のためになるんだと。
むしろ、それ以外で社会に貢献できる事は、実はないのではないか、と。
才能とは、誰かにはできないけど、自分にはできること、だからです。
それぞれのできることを持ち寄って世界が回れば、それでいいのです。
動物も植物も、そんなふうに生きているでしょう。
そのために、例えば、こうやって毎朝文章を書いています。
それは、僕の才能の一部です。
普通はなかなかできないことです。
書く能力で世界で一番になる必要は、全くありません。
内容や表現方法も、読んでくれる層も、一応は僕独自のものですから。
ただ、そのスキルは、磨いていく方が良いでしょうね。
文章を書く、ただそれだけのことにも、いろんなスキルがついて回ります。
書くスキル、見せるスキル、届けるスキル、PCスキル、時間を確保するスキル、やる気を継続させるスキル、不必要なものを手放すスキル、収益化するスキル…。
本当にいろいろです。
自分で何かをやると決めて、それを実行していく過程で、そういういろんなスキルが少しずつ磨かれていきます。
いや、逆に自身のスキルを磨くんだ、という意識があったほうがいいかもしれません。
他の才能に取り組むときにも、それはつぶしが効くからです。
ただし、いろんなことにチャレンジしても、いわゆる結果が伴うかどうかは分かりません。
だから、こういうのを自己責任とも表現されますね。
誰かに言われてやってるわけじゃありませんから、当然です。
上司も社長もいません。
勝手にやってるだけです。
もしも今、既にそういうことに取り組んでいるのなら、それって結構すごいことですよ。
サラリーマン経験しかない人が多い中で、そうでない生き方を少し取り入れているという事ですから。
時代の最先端と思って、自信を持っていいです。
いや、なんだか偉そうにすいません。
だけど、それは自己責任だよ、なんて言われると、どう感じるでしょうか。
なんかちょっと怖いな、って思う人、結構いるんじゃないでしょうか?
誰も助けてくれなさそう、みたいな。
その気持ち、よくわかります。
上司や社長はめんどくさいけど、いざとなったら助けてもらえますから。
そういうのが一切ないような感じ。
パンツ履いてなくてスースーするような違和感、とでも言いましょうか。
何もない原っぱに、一人で放り出されたような感じ、でしょうか。
僕も昔、そんな気分になったことがあるような気がします。
もうよく覚えてませんけども。
とにかく自分で決めて、自分でやるわけですから、それは言うなれば、やっぱり自己責任です。
でも、そこになんとなく恐怖というおまけがついてくるのは、時代がまだ追いついていないからです。
誰もそんなことをしていないからなんです。
いつか、そういうライフスタイルを選択する人が増えて、そのスキルはどんどん共有されて、当たり前のものになっていくでしょう。
似た境遇の人の気持ちはわかりますから、助け合うことが増えるでしょう。
生活に余裕のある人が増えることでも、そうなります。
上司も社長もいない毎日は、ピラミッドの社会から半分抜けているということです。
今はまだ、そんな人が少ないから怖そうな気がするのです。
ピラミッドの中で管理されて、ついでに搾取されていることに、慣れちゃっている人の方が大多数なのです。
そんな状態では、才能を発揮するのはなかなか難しいです。
だって毎日、あれやりなさい、これやりなさい、人生をこう生きるべきだ、と言われ続けるのですから。
それが自分のできることで得意なことなら良いでしょうが、得意でもなく好きでもないようなことならば、苦痛でしかありません。
ピラミッドから少し脱出する人が増えてきたとき、この世は助け合いがぐっと増えます。
それこそが、未来のジグソーパズルの世界です。
自分のできること=独自の才能を持ち寄って、みんなで豊かに暮らせば良いのです。
そんなことを言うと、共産主義や村のような共同体を想像するかもしれませんが、そうである必要はありません。
生活自体はもう個別で普通にできます。
共同生活も良いでしょうけども、時代の準備は既に整っています。
既に豊かな時代になっているのです。
おっと、ちょっと違う話になりそうです。
そんな話は、別の記事でどうぞ。
とにかく、自分の才能を発揮させることを人生の優先事項とするならば、今はまだ「自己責任」という言葉がついて回ります。
それは孤独な戦いとでも言いましょうか、そういう雰囲気があります。
でも、それはまだ時代が追いついていないだけのこと。
今から生き方を変える人が少しずつ増えていった時、「自己責任」なんて言葉は、そのうちに忘れられてしまうでしょう。
それは素晴らしい世界ですよ。

