原稿用紙で文章を書くと、集中力が途切れずに書けるということを発見してから、一月半ほど経ちました。
それ以来、こうやって毎日、一日も欠かさずに書き続けています。
それは自分でも驚くくらいで、三日坊主もびっくりです。
毎日書くことがすんごく楽しい!ってわけでもないのです。
楽しくないこともないのですが。
当然、起きたくないような朝だってありますし、田んぼやら忙しくて、疲れが溜まっている日もあって、体と頭にムチ打って書き始める、というような日もあります。
それでも毎日やっています。
書き始めてしまえば何とかなる、みたいなところもあったりします。
書くメリットは、日中も頭がすっきりしているということでしょうか。
頭がクリアでいられる気がします。
あと、文章を書く練習になっているなぁ、という感じがします。
自分でも気づいてないような思考に気づかされるような感じもあります。
きっと、もうしばらくこの習慣を続けたら、逆に書かないといられないような感じになってくるでしょう。
それはたぶん、朝の歯磨きみたいなものです。
やらないと気持ち悪いでしょう。
忙しくてもさっとぐらいはするでしょう。
本当の習慣ってそういうものですね。
書くメリットはあるにはあります。
だけど、それだけで、こんな面倒なことを毎日続けられないでしょう。
僕が続けられるのは、ある種の使命感という感じでしょうか。
自分の才能を発揮せねばならん気がするのです。
だってこんなこと、少なくとも僕の周りにできる人は多分いません。
こんなわけのわからないことを考えて、言語化して、毎朝早起きして書き続けるなんて、狂気の沙汰です。
しかもそんなに誰にも読まれないのです。
これは一般に広く認知されるような話ではありません。
午後のラジオ番組の会話のような、当たり障りのない話ではありません。
逆にあなたの頭の中を引っ掻き回すような話もありますから、そんな話聞きたくないという人もいるでしょう。
でも、僕はそれが必要だと信じちゃっているのです。
信じているというのは、少し違うかもしれません。
その先のことが見えているのです。
それも僕の周りで見えてる人は多分いません。
僕だけです。
そういうのを才能というのです。
背が高いと、周りの人には取れない高いところのものが取れる、ということです。
だけど残念ながら、当の本人は、背が高いこと自体が好きかどうかは、ちょっと分かりません。
でも、高いところのものは取れて、それが周りの人にはできないのです。
これがジグソーパズルの世界です。
毎日書くことが楽しいとか、楽しくないとか、そういう感じではないのです。
たくさんの人に読まれるわけでもないマニアックすぎる文章です。
要は、ほとんどの人はこの文章に用はありません。
需要なんてないのです。
だけど、これができる人は他にいないのだから、僕がやるしかないのです。
世の中を見渡せば、僕みたいなことを考えたり、発信したりしている人はいます。
僕よりもわかりやすく、たくさんの人に届けられる人もいます。
でも、僕にしかできない表現というのもあって、僕からしか届かない人も多分いるのです。
ジグソーパズルの世界ってそういう感じなのです。
それが、僕に見えている未来の姿なのです。

