僕が人生でずっと追い求めているものがあるようです。
それは、理解されたい、ということです。
世の中には愛に飢えている人がいるそうです。
小さい頃から十分な愛情を感じられず、愛情を求めるようになるのでしょうか。
僕もそれと同じで、理解されているという感覚が足りなかったのかもしれません。
ずっと理解を求めているようです。
自分の行動や考え方を振り返ると、そう腑に落ちるのです。
多分、愛に飢えた人も、人生のどこかのタイミングで諦めるしかないんじゃないか、と思います。
僕もきっと人生のどこかで諦めるしかないのでしょうが、それはまだ先のことになりそうです。
今、やっとそんな自分に気づいたところですから。
周りに理解されないことで悩む、というかめんどくさいと思うことがあります。
そんな時には乗り越えられない巨大な壁を感じます。
たくさんの人、世の中の大半の人が行く手を拒んでいるような感じ。
その理由も分かるし、仕方のないことだとは思いますが、そう感じてしまうのです。
僕には、どうも見えてしまうものがあるのです。
それは、まだこの世には存在しないけれども、いつか具現化するだろうこと、です。
でも、目の前にないものを信じろと言われても、無理なことです。
スティーブ・ジョブズはずっと昔から、みんなが小さなコンピューターを持ち歩くようになると思っていました。
それはスマホという形で実現したわけですが、当時はそんなこと誰も信じられなかったでしょう。
コンピューターが大きくて、重くて、高価で、何もできなかった時代からそう思っていたのです。
僕もそれと少し似ています。
少しだけですよ。
僕の場合は、ジョブズほど大きなことではありません。
それに時代は少しずつ進んでいますから。
ちなみに、世の中の役に立つのが必ずしも僕である必要はありません。
僕と同じことが見える人は世の中にいますから。
でも、自分だってそれをやりたいじゃないですか。
それがいわゆるエゴだとも分かるし、諦めれば楽になるだろうけども、僕はそれをやりたいのです。
大げさに言えば、戻るも地獄、進むも地獄という感じです。
戻るとは諦めることです。
もう全部やめて、残りの人生は何も考えずに、ひなたぼっこしながらお茶を飲んでいるおじいちゃんのように生きていくのです。
それも悪くないでしょうが、まだそれには耐えられないのです。
ただ、こういう状況も必要なもの、とも言えます。
才能とは、それだけでモチベーションにはならないですから。
才能とは単に、誰かにはできないけど自分にはできる、というだけのことです。
それ以上でも以下でもありません。
そして、自分にそれができるというだけで、その能力を行使する理由にはならないのです。
僕は理解されたいのに、いまいちされないわけですが、そういう状況が自身の才能を発揮する動機になっている、というわけです。
まぁ、なんと言うか、いろいろ仕方ないですねぇ。
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