久しぶりに、究極の三つの問い、ということについて書いてみます。
僕が思うに「考える」ということの先には、必ずこの三つの問いが現れます。
その三つの問いとは、「幸せとは何か」「生きているとは何か」「自分とは何か」の三つです。
それらの問いに対して、完全な答えは言語で表現できません。
だけど、どんな入り口から入っても、必ずこの三つの問いにたどり着きます。
考えるとき、絶対に避けられない謎なんです。
一番考えやすいのは「幸せとは何か」ということだと思います。
そんなことをふと思って、たまにぼんやりと考えてみたりしませんか。
だけど、途中でわからなくなって、「まぁ人それぞれだよね」みたいなところで落ち着いている人が多いかもしれません。
それも悪くありません。
だけど、三つの問いを考えるときに、ぜひ相棒にしたいのが「観念」です。
人生は観念でできていますから、考えるときには観念に注目すると、いろいろと観察しやすいのです。
幸せだなぁとか、不幸せだなぁと感じる時って、どういう時でしょうか。
もう少し噛み砕くと、良い気分や悪い気分になる時ってどういう時でしょうか。
それは言うなれば、感情の動く時です。
感情が動くとき、そこには必ず観念があります。
〇〇が良い、××が悪い、という観念を、みんなたくさん持っているのです。
だから、〇〇が起きたときには良い気分になるし、××が起これば嫌な気持ちになります。
だけど、出来事自体に良い悪いはありません。
何か感じたとき、それは自分の中にある観念が出来事に反応しているのです。
その瞬間、自分の持っている観念を観察することができます。
ただ、観察するだけです。
こんな観念を持っている自分が悪いとか、ジャッジする必要はありません。
それを観念というのです。
〇〇が良い、というのが観念です。
今まさに、観念がないほうがいいんだ、という観念が見え隠れしていませんか?
そんな自分の内側に気づけますか?
やっぱり、ただ観察するのです。
禅の修行って、座禅からスタートするらしいのです。
座禅で自分を観察するのです。
それだけを徹底的に練習することから、ということです。
練習を重ねて、自分を観察することに慣れてきたら、掃除とか炊事とか、そんなことをするようになります。
坐禅は初心者で、身の回りの世話をするのが上級者なんです。
ちょっと意外な感じがしますか?
座禅で自分を観察する練習をしたら、その態度のままに日常生活を送るのです。
ずっと自分を観察しながら動くのです。
そんなことを生活の中にちょっと取り入れてみると面白いです。
実は誰でもできるんです。
毎日ちょっと瞑想して、毎日生活すれば良いのです。
生活は毎日しているでしょうから、簡単です。
毎日生活してるだけで修行になっちゃいます。
まぁ、修行するから良いということもありませんけれども。
興味ある方はやってみてください。
あ、三つの問いの事は、また明日にでもしましょう。
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