自分で決めるって重要だと思います。
自分で決めるということをしないのなら、もしもこの世界が超自由になっちゃっても、自分で決められないということです。
「生きていくために必要なあれこれをもうしなくてもいいです」って、万が一なったとしても、その時にどうすれば良いのか、わからないということです。
みんな、意外と誰かに決めてほしいのです。
それは言い換えれば、自由でなくても良い、ということです。
誰かに管理してほしいのです。
ちょっと嫌な言い方でしょうか?
でも、そういう人は多いです。
その証拠に、今のこの社会には、管理する人とされる人がいます。
それがその証拠です。
社会とは、人々の群れのことであって、一人ひとりの生き方の集合体です。
今、この社会がそういう社会であるという事は、大多数のみんながそういう社会になるように生きている、ということです。
管理して欲しい人が多いのです。
管理して欲しい人に対して、管理する人が現れます。
それは、需要と供給です。
確かに、自分で決めるということが続くと疲れます。
誰かに指示してほしい時もあります。
今はまだ、自分で決めなきゃいけないことが多いですから。
でも、そういう生き方や態度が少しずつ浸透するにつれて、自分で決めるということも少しずつ楽になっていくと思います。
好きに生きたらいいよって言われたときに、本当に好きに生きられるでしょうか。
初めはいろんなことから解放された気がするかもしれません。
でも、好きに生きる、自由に生きるって、意外とできないのです。
何をしていいかわからない、自分が何をすればいいのか教えてくださいって、そのうちになっちゃうかもしれません。
それを自分で決めるのが「自由」であり、好きに生きるということです。
もしも、自由な生き方をしたことがないのなら、できなくて当然です。
したことのないこと、初めてのことは、普通はなかなかできません。
だけど、そんな人たちが多数派「だから」、今の社会は「そう」なっているのです。
確かに、制度やルールの問題はあるとしても、最終的には一人ひとりの生き方が社会を決めています。
ということは、自由に生きる人が増えたら、この社会もいつか自由になっちゃうんでしょうか。
そうです、その通りです。
僕が夢見ているのは、そういう社会なんです。
だから、まずは自分が自由に生きるんです。
他人の生き方には口を出せませんから。
大体、誰か他人から自由に生きなさいって言われて、それを鵜呑みに自由に生きたとして、それって不自由じゃないでしょうか?
自由に生きることを強制されている状態です。
自由とは無理にしても意味がありません。
自由とは、自分で決めるということと同義なんです。
自由な生き方をする人は少しずつ増えています。
日本中で、世界中で、ポツリポツリと増えています。
そんな人たちがある一定の数に達したとき、その生き方は急激に伝播するでしょう。
100匹目の猿現象です。
それがいつになるのか全く分かりませんが、僕にできる事は、100匹目までの猿として自由に生きていくというだけのことです。
それ以外にできないのです。
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