奴隷の生き方論・その3

前回までの記事。

いや〜面白くなってきました。

え? そう思ってるのは僕だけですか??
もしかして、
テンション上がってるの僕だけですか?!

それは参ったなぁ。。
ま、今日もボチボチ書きます。

今回は「奴隷的コミュニティ論」と題しまして
奴隷がやるべきこと、やっちゃいけないこと、
についてお話します。

目次

ずっとピラミッド、見渡す限りのピラミッド

今、僕らが生きている社会は、
みなさんご存知、ピラミッド型の三角の社会です。

トップがどんな人たちなのかは知りませんが
資本家、と表現しておきましょうか。

銀行やらグローバル企業、国際的な組織、
いろんなものがその下にある、らしいです。
ホリエモンとかそういう方々は
会社で言えば課長さんみたいなあたりでしょうか。

いや、知らんけど。

僕らは一般ピープル、一般社員、バイト、
みたいな感じで底辺の者でございます。

生まれてずっと、そんな環境にいるわけですから、
僕らにはもう、ピラミッド思考が染みついています。

というか実際には、
僕らがそんな思考をしているから
ピラミッド社会が構成されているのです。

個々の思考は洗脳から始まっているわけですが、

そんな考え、いわゆる常識を
当たり前に、疑いもせずに持っているものだから、
全てがピラミッドになります。

会社に行っても、学校に行っても、
何かの集まりに行っても、家に帰っても、
そこはピラミッドです。

社会という大きなピラミッドの中に
無数の小さなピラミッドがあって、
僕らは常にピラミッドの中にいます。

それは、偉い人とそうでない人がいる、ってことです。
管理する人とされる人がいる、ってことです。

そんな毎日で、みんな疲れています。

だって、生まれてこの方、
ピラミッド世界にしか住んだことがないのです。
そら〜疲れますよ。

会社で管理されて疲れた現代人は
家に帰って管理する側になろうとします。

家で管理される側の人は
友達の輪の中で管理する側になろうとします。

管理された子供は学校で
管理する側になろうとします。

いわゆるマウント、ってやつです。

そういうことを
あらゆる場所で無意識にやっています。

なぜならみんな、生まれてこの方、
ずっとそういう環境だから、です。

だけど、自分がピラミッドの底辺であると気付いたなら
そこから、いやピラミッドそのものから脱却してもいいのです。

脱却する方法は前回書いたとおり、
お金からちょっと離れる、ってことです。

世直しは可能か

ちょっと蛇足ですが、、

僕は政治的な活動には
あんまり興味がありません。

いや、そういうことをする人も
必要なんです。
素晴らしい、と思います。

だけど、僕は興味がありません。

なぜか。。

政治でピラミッドは壊れないから、です。

ピラミッドはずっと残ります。

例えば、、

チェ・ゲバラみたいな
すごいカリスマが登場して
こんな風にしたらいいんじゃない!
って熱く語ります。

みんなそれに感化されて、
あなたの言っていることは正しい、
あなたについて行きます!
みたいなことになる。

それでもしも、革命が起きて
世の中がひっくり返ったとしても
そこはまたピラミッドです、残念ながら。

違うピラミッドになるだけ、なのです。

それはなぜでしょうか。

社会の枠組みをカリスマ、すごい人が決めて、
みんながその通りに生きるからです。

「社会の枠組み→みんなの生き方」
この順番が話のキモですよ。
注意して考えてみてください。

革命者は新しい社会の枠組みを提唱します。

トップダウンでそれを実行して
賛同する人もそうでない人も
そんな生き方を始めます。

この時点でそれはピラミッドです。
すでに管理されていることに気づけますか??

逆に、ピラミッドではない、未来の社会は
そういうことではないのです。

未来の社会のつくり方

社会とは、世の中で生きているいろんな人を
遠くから、俯瞰して眺めたもののことです。

社会なんてものが
どこかに存在しているわけではありません。

みんなピラミッド的な生き方が当たり前だと
小さい頃から教えられて、
実際にそんな環境で生きてきましたから、
当然、その生き方は
あたかもピラミッドの社会を生きているように生活します。

「だから」社会はピラミッドになっているんです。

ピラミッドの社会だと思って生きている人がたくさん集まって、
ピラミッドの社会を作っているのです。

社会を作っているのは
ルールではなくて、仕組みではなくて、
僕ら自身なのです。

だから、ピラミッドでない未来の社会が見えちゃった人は
そんな未来の世界を先に生きるのです。

今はまだ、そんな社会にはなってないけども、
その未来の社会を先に生きるのです。

社会は全然ついてきませんけども、
そんなことは気にせずに
すでに今が未来の社会であるかのように
生きるのです。

* * * * *

それは大河に一滴を落とすような生き方です。

そんなことをしたって
社会は何ひとつ変わりませんから、
無駄に思う人のほうが多いでしょう。

だけど何年後か何十年後か何百年後か、
それはわかりませんが、
社会はその通りになることでしょう。

息の長すぎる話ですから、
今のところ、理解できる人が少ない、
ってだけのことです。

三角の上に丸が重なる

そんな未来の社会のことを
「丸い社会」なんて表現したりします。

どんな方が言い出したのかは知りませんが、
とってもわかりやすくて
素敵な表現だと思います。

現状のピラミッドの三角社会の上で
ポツリポツリと未来を生きる人が現れます。

だけど、丸い社会はなかなか姿を現しません。
ある程度、数が増えないと
ぼんやりと形になってこないのです。

丸い社会を生きる人は
今のピラミッドの社会の上で生きています。

ピラミッドはまだまだずっとなくなりませんが、
その上で未来を生きる人が現れるんです。
少しずつそんな未来人は増えていきます。

でも少しくらい増えても、
それが社会になることはありません。

遠くから見たときに
社会に全然見えませんから。
ある程度の数が必要なのです。

いつか、もっともっと未来人が増えたとき、
ピラミッドの三角の上に
丸い社会が浮かび上がっているのが
わかるようになります。

社会という確固たるものがあるわけではなくて、
三角の上にぼんやりと丸いものが浮かび上がるのです。

そのとき、ピラミッドしか知らなかった多くの人も
生き方を変え始めます。

そこからは雪崩のようです。
世界はあっという間に変わってしまうでしょう。

でも、そんなことがいつ起こるのか、
全く想像つきません。

僕が生きている間にそんなことになるかと言われると
そうならないに1票、って感じです。

ま、わかりませんけども。

未来人は今も生きている

未来を今生きる人は
ピラミッドのルールに従って、
だけど姑息に柔軟に生きていきます。

現状、社会はピラミッドになっているのですから、
それに合わせて生活しています。

だけど、暖簾に腕押し、馬耳東風、糠に釘。
ルールには従いますが、興味はありません。

ルールとは、
奴隷に向けたルールです。

それはお金という紙切れを使ったゲームです。
たくさん集めた方が偉いのです。

世の中の大半の人は
そんなゲームに興じたまま、人生を終えます。

それはそれで悪いことでもないでしょう。

だけど、そんなことに興味がなくなったら、
もうやめちゃってもいいのです。
そんなゲーム、やる気にならないのです。

僕はもう、それはそれは
やる気のない奴隷です。

やる気のない人間など、
どこにでも、どんな世界にでもいるでしょう。

単にやる気がないだけです。
別にそれだけで目立つことはありません。

お前は何をやってるんだ、と叱責されても
その質問の意味がわからないから
ウ〜ン、、と考え込んで質問に答えることができません。

奴隷の管理人から見ても
あいつはやる気がねえんだから、まあ仕方ないだろう、、
バカなのか、何を考えてるのかわからん、、
なんだか薄気味悪いやつだ、、
などと思われていれば、それでいいのです。

やっていいこと、ダメなこと

ずいぶん前置きが長くなりました。

今回は「奴隷的コミュニティ論」という話でした。

イナコメという本の中で
生活をコンパクトにして農的な生活をするって
ありじゃね〜〜みたいなことを書きました。

そういう話をすると最終目標として、
村にする、コミュニティを作るみたいなことを
考える人がいます。

だけど、、

残念ながら、そこもピラミッドになってしまいます。

中身がちょっと違うだけで
結局はピラミッドなのです。

こういう生活をしよう、っていうルールがあって
そのルールにのっとって、みんなが生活しているからです。

それがピラミッドです。

どんなに崇高で素晴らしい理念があったとしても
必ずピラミッドにならざるを得ないのです。

だから、こういうコミュニティのあり方は
未来から見れば、古いとしか言いようがありません。

そして、現状のピラミッド社会から見ても
それは異物でしかないのです。

奴隷の管理人から見て
一番めんどくさいことは、
奴隷たちが良からぬことを企てて
結託して一斉蜂起なんてしちゃったりすることです。

要は支配者に牙を向くようなこと、です。

奴隷を管理する立場からしたら
めんどくさいことこの上ない、ですね。

そら〜もう徹底的に潰さないといけません。

こっち(管理者)だって生活がかかっているんです。
守らないといけない家族や生活やプライドや地位があるのです。
そんな気持ち、わかるでしょう。
だから、仕方ないのです。

だから、農的な村みたいな
そういうコミュニティは潰される危険があります。

悪い噂を流されて、誹謗中傷されて、嫌がらせをうけて、
その運営は困難を極めるでしょう。

形のあるコミュニティは
潰される可能性を孕み、
同時にピラミッドの形をとります。

それが未来から見た、
やってはいけないこと、です。

潰される危険のあること、
目立ってしまうことをわざわざする必要はありません。

では、未来のコミュニティとは
どんな形をしているのでしょうか。

それは、、

形のない集まり、です。

【次回】会じゃない会

ちょっと長くなっちゃったので、また次回にします。

僕らがいまから目指すべきコミュニティは
会ではない会、です。

会を作る、となると
僕らはいつもの癖でついついピラミッドにしちゃうのです。

そこには会の名前があって、
代表者がいて、役員がいて、会員名簿があって、
ルールがあって、設立日があって、
定例の会議があって、議事録があって、
活動内容があります。

そういうのじゃないのです。

秋ですなぁ。。

ではまた次回〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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