僕は大西つねきさんを応援しています。
大西さんは政治家です。
ただし、当選したことはありません。
今までにいないタイプの政治家と言いますか。
いや、僕は政治には興味がありませんでしたから、そんな人がいても知らなかっただけかもしれません。
僕の言葉で表現するならば、大西さんは「正しいとは何か」を考えられる稀有な政治家です。
僕らはいつも「〇〇が正しい」ということをぶつけ合っているに過ぎません。
特に政治の世界では、それが顕著になります。
だからこそ——それは必要なことなのかもしれませんが、個人的には政治には興味が持てないのです。
こういう政策が正しい、こういう社会のあり方が正しい、こういう未来が正しい…。
そうやって、自分の持っている観念を披露し合っているだけです。
誰も、そもそも正しいって何だっけ? ということを議論しません。
しかし、議論の順番としては「正しいとは何か」が土台になるわけですから、そこを先に考えないと、すべてを間違える可能性があります。
と、まあソフトに書いていますが、実際に間違っているのです。
今までずっと。
有史以来ずっと。
間違っているから、今のこの世界はこんなにめちゃくちゃなんです。
これは政治に限った話ではありません。
一人ひとりの生き方、考え方、態度が世界を決めています。
それらはつながっているなんてレベルじゃなくて、完全にイコールなんです。
これはいつもの哲学の話です。
ただし、あの人は政治哲学を持っている、なんて言い方をよくしますが、それとは違います。
政治哲学と言ったとき、それは、こうでなければならない、という理想の世界や政治のあり方を指していることがほとんどです。
それがまさに、もう皆さん耳タコの観念です。
僕がいつも言っている哲学とは違います。
こう書くと、「観念を持つことは悪いことなのか」と思う人もいるかもしれません。
いや、それ自体が観念なのです。
何かを「いい」「悪い」と判断する物差し、それが観念です。
もし「観念を持つことは悪いことだ」と思うなら、その気持ちの源にあるもの、それこそが観念なのです。
観念によって、僕らは四六時中、無意識にあらゆることを判断しています。
さっきのように「観念を持つことは悪い」と判断することがありますが、この文章の中で僕はそういうことを一切書いていません。
試しに読み返してみてください。
それは無意識に自動的にそう判断されているだけです。
その感情は一体どこから来たんでしょうか。
その出どころ、感情が生まれる瞬間を見るのです。
いつも通りややこしい話ですいません。
だけど、「正しいとは何か」という土台から順番に考えていかないと、その上に立つ議論という建物には意味がないと僕は思ってしまうのです。
みんな、それぞれが「正しいこと」しかしていないし、「正しいこと」しかできないのです。
だけど、人生の最後の最後で「俺の生き方は間違っていた」なんて思ったら取り返しはつきません。
なぜそんなことになるのか?
正しく生きてきたのに。
それは、考える順番を間違えているからです。
そして、そんな生き方が集まって世界を作っているのです。
そろそろ、この世界に哲学があってもいいんじゃないでしょうか。
哲学とは、「正しいとは何か」と問うことでもあります。
まあ、僕はずっとそんなことを書いていますが、これからもそんなことばかり書くでしょう。
僕はそれにしか興味がないからです。
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