理想論・世界の悪はシステムで駆逐できない

昨日の微妙に続きです。
昨日は、悪というものについて考えてみました。
この世界には、特定の悪い人なんていないと。
それは、僕ら全員の中に共通にある、という話でした。
納得できる話だったかはわかりませんけども。
今日はそんな話を踏まえた上で、この世界の変え方について書いてみます。
ただの理想論だと言われるかもしれませんが、最終的にはそれしかないのです。

この世界に存在する悪に心を痛める人は多いでしょう。
そんな悪いことのない、少しでも少ない世界にならないだろうかと、現代の日本人くらいなら、みんなが思うでしょう。
だけど、一向に悪が減っている感じはしません。
それはもしかすると報道に問題があるのかもしれません。
だけど、悪の王様、具の骨頂と言ってもいいでしょう、戦争はまだ続いています。

そんな悪を、システムでなくすことはできるのでしょうか。
そういうルールを作るということです。
条約を結ぶとか、そういうことです。
それは一時的には効果があるでしょうが、ルールを破る人もいるでしょう。
絶対ではありません。
国同士で取引したり、抑止力を働かせたり、いろんなことがされているのでしょうが、絶対という事はありません。
もちろん、そういう努力やそれらを積み重ねる事は必要でしょう。
そして、僕にはそんな難しい話はわかりません。
だけど、その効果は絶対ではない、とうことに間違いはありません。

「絶対」はどこかにないのでしょうか?
もしあるのなら、本当に必要なのはそちらじゃないでしょうか?
それが、実は昨日の話です。
悪は、自分の中に存在するという話。
悪は自分の中にもあるし、世界中のみんなの中にも同じように悪が存在する、ということです。

もしも、みんなが自分の中の悪に気がついて、無意識に持っていたその観念が本当に必要なのか、ということを考え始めたらどうなるでしょうか。
僕たちは、生きたい、生き続けたいと思っています。
死にたくないのです。
そこからすべての観念がスタートします。
これを「考える」のです。

だけど、そもそも生きている、死ぬということが、一体何なのか、よくわからないのです。
自分が生きていることを誰か説明できますか。
そして、自分がいつか死ぬことを説明できるでしょうか。
人が死ぬことは、言葉は悪いですがよくあることです。
だけど、死ぬのはいつも他人なのです。
自分が死ぬとは、一体どういうことなのでしょうか。

さらにもっと考えを進めていけば、必ず、自分という存在の謎にたどり着きます。
自分というものがなんなのか、それがわからないのなら、生きていることも、死ぬこともわかりようがありません。
自分がわからないのに、自分が生きているとか、自分が死ぬとか、わからなくないですか。
そして、生きていること、死ぬことがわからないのなら、自分の中の悪が必要か否か、正確に判断することはできません。
結局、問題の本当の本質は「自分とは何か?」ということなのです。

そんなわけで、この世界の悪の原因は、自分という存在がわからないから、なのです。
でもそんなふうに言われても、全然納得がいかないかもしれません。
それとこれと、一体何の関係があるの?って。
自分がわからないって、自分探しとかじゃありませんよ、念のため。

またそのうちに書きますから、今は訳がわからなくても、むらもが何か変なこと言ってるなぁ、って思っていてください。
そんなことに興味があれば、たまにこのブログを読んでください。
そのうちピコーンって、ひらめくように、いろんなことがつながる日が来るかもしれません。

とにかく、普通は悪というものを自分の外に見出します。
自分の外にその要因を見ようとします。
でも、その態度は「正しく」ありません。
そのことだけは、なんとなくそうなのかなぁ、と思っていてください。

最後に、今日の文章で「考える」と「正しい」とカギ括弧付きで書いた部分があります。
これって何だったか、ちょっと思い出しておいてくださいませ。

ギタリストの箱庭。めくるめく趣味の世界。
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