言葉のあや

哲学ワークショップのことを今日も書きます。
興味のある方はぜひ参加していただきたいと思いますが、この「興味のある」というのが一番のポイントだと思うのです。
興味のない人が参加しても仕方ないというか…。
まぁ、当たり前のことですが。

何に興味があるかというのが、ちょっと問題です。
哲学ワークショップと名乗っているのですから、哲学に興味がある人という感じかもしれません。
だけど、どうも僕の思っている哲学と、世の中で思われている哲学とは、ちょっと違う感じがして、「哲学」という言葉を使っていいのか、悩んでしまうのです。
他に適当な言葉が思いつかなくて、そのまま使っていますけども。
それで、副題に「考えるための気づき」なんてつけたりしています。

しかし、こういうことを書いていると、またわからなくなってきます。
気づきというのは、言葉で表せないのです。
それを無理矢理文章にしているのだから、書いている方がだんだん混乱してくるのです。
何も考えずに、ワークショップをスタートするくらいがちょうど良いのかもしれません。

この文章は僕一人で書いているから、ということもあります。
ワークショップは参加者がいますから、またちょっと雰囲気が違います。

ワークショップでは、僕は一応教師的な立場になってしまうのですが、気づきということを考えるなら、そんなものはどこにもありません。
教師も生徒も、頭の中の幻想であります。
だけど、教師と生徒という二元性の中でしか語れないこの世界の不便さ、とでも言いましょうか。

人生とはそういうものであります。
とにかく不便です。
仏教でいえば、四苦八苦でしょうか。
もともと、人生はそういうふうにできているというか、そういう成分でしかできていないというか。
そういう成分が一切ない世界って、どういうものだと思いますか。
それをぜひ想像してください。

四苦八苦の元をずっとたどると、どこに行くでしょうか。
究極の三つの問いというのが、役に立つかもしれません。
幸せとは何か、生きているとは何か、自分とは何か、です。

幸せというものがあるから、四苦八苦するのかもしれません。
生きているということがあるから、四苦八苦するのかもしれません。
自分というものがあるから、四苦八苦するのかもしれません。

こんなことを書くと、人生に意味なんてない、と自暴自棄になる人もいるかもしれません。
僕の10代はそんな感じでしたけども、それは間違っています。
勘違いの勘違いです。
思い込みの上塗りです。
という点だけは注意しておきます。

文章を書いたら、スッキリして哲学ワークショップが、なんだか楽しみになってきました。
毎月やっていますので、ぜひどうぞ。

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ちょっと雪が降ると屋根雪がこんな感じ。扉壊れてまうわ! 毎回除雪です。
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