積極的にぼんやりしよう

毎日毎日書いておりますが
書いてる内容は
結局、同じようなことなのであります。

生活をコンパクトにすると、
支出が減って、
収入を減らせることに気づくかも、
田舎へ移住でさらに支出が減る、
田んぼなんかやると死なない気がしてくる、
ピロール農法だと誰でも一年目からすごいコメになる、
情報発信でお金をかけずに自分で売る、
ピロール米は売りやすいから生活の足しにもしやすい、
気づいたら人生って楽でいいのねってなってるかも、
楽で余裕があるから、気づいたら好きなことをしてる、
好きなことを探す必要もなく、無理してする必要もない、
気づいたら他者貢献になってる、
そんな人が世の中に増えたら、めっちゃ面白いんじゃ、、

ということであります。

そんなことに3年半ほど前でしょうか、
ビビッと気づいてしまいまして、
それからというもの、
僕はそればかりやってるのです。

そんなことをしていられるのも
生活に余裕があるから、でしょうか。

生活に余裕がある、というと
普通は収入に余裕がある、
という感じを想像するかもしれませんが
そんなことは全然ありません。

死なない程度には稼いでますが、お金はありません。
だけど、そんなに不自由することもなく生きています。

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結果としてそうなった

支出を下げることは
とてもわかりやすい指標ですが、
それを目的にすることはしないほうがいいように思います。

支出は結果として下がる、ものだからです。

支出が下がる原因は、コンパクトな生活です。

でも、そもそも
生活をコンパクトにし始める原因は
どこにあるんでしょうか。

そんな気持ちに一体どうやったらなるんでしょうか。

実は僕の言ってることって全部、
結果論なんであります。

「これをしたらからこうなった」の
「こうなった」部分ばかりなんです。

「これをしたら」ってのは
生活をコンパクトにしたら、
支出を下げたら、収入を下げたら、
田舎に移住したら、田んぼをやったら、、
などなどが該当しそうですが、
たぶん、本当は違います。

本当の原因は「気づき」です。

気づきはただの事故

なんだかよくわからないことに気づいてしまって、
僕は生活を少しずつ変えてきたのです、15年ほどかけて。
そんなところから始まっています、たぶん。

でも、その気づきはどこからやってきたんでしょうか。

それは全然わかりません。

気づく人と気づかない人がいますが、
その差は全然わかりません。

そして、気づくために直接的にできることは
たぶんありません。

こうしたら気づくよ、、ってことは
世の中に存在しないのです。

だけどある日、ある瞬間に突然に気づいちゃうのです。

それは予期しない事故みたいなもので
自分で制御できるものではありません。

僕が気づいたのは、たまたま、です。

ぼんやりする時間

とは言っても、
気づきやすい環境にすることはできるかもしれません。
間接的に気づきを促せないか、ということです。

そんなことに役に立つのが
生活の中の余裕、です。
余白と言ってもいいかもしれません。

ボケーっとしてる時間が必要なんです。

何かしないといけない、
成長しないといけない、
金を稼がないといけない、
いい人間でいなければいけない、
時間がもったいない、
お金ももったいない、
人生で何かを成さなければ、、

みんな、忙し過ぎるのです。
だから、気づきが入り込む隙間がないのです。

そんな僕らには、何もしない時間が必要です。
1日24時間のうちの30秒でも、5分でも、30分でも。

瞑想なんてサイコーだと思いますよ。
ちょー気持ちいいですよ。

そんな時間ありませんって方は
30秒だけ目を閉じて
自分の感覚や、頭の中の思考を眺めてみてください。

パンツってみんな履いてると思いますが
パンツ履いてる感覚って、普段感じることありませんよね。

そこにずっとあるのに
ずっと触れているのに
あるという事実に全く「気づかない」のです。

僕らは目の前にずっとある事実に全く気づきません。

たまにはパンツが皮膚に触れている感覚に
フィーチャーしてみてください。

そしていま、何を思っているのか、ただ観察してみてください。
何を思ったって思わなくたって、どっちでもいいんです。

そんなことやって何になるの?
なんて思う自分を眺めながら
ぜひ、ぼんやりしてみてください。

そろそろ夏が来そうな空でした。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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