幸せの基準はどこにあるか

ちょっと思い出したのですが…

美しいものも度が過ぎると
美しいのだか、なんなんだか、
わからなくなってしまう、という話。

この宇宙にはどうやら、
そういう基準ってないのです。

要は、
何が美しくて、何が美しくないか、
それを決めている基準のことです。

美しいものを見たときに、
美しい〜〜って思う、
その気持ちを嘘だとは言いませんけども、
僕なんかはそういう判断をしてるだけ、
ってことは結構ありそうな気がします。

僕は割と理詰めの性分ですし、
なんでもパッパと頭で考えちゃうタイプですから。

頭のどこかで
無意識に、勝手に、瞬間的に、
これは美しいのだ、と判断してそうです。

自分ではなかなか、
そう気づきにくいけども。

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なんかスイマセン

僕には美しいと感じるような感性が
乏しいようなのです。

そんなことないでしょう〜〜って
言ってくれそうな気がするけども。

ないのですよ、ホンマに。

たぶん、周りの人が美しい〜〜っていうのを学習して
こういうのを美しいって言うんだな〜って
判断してるだけ、です。

そういうことを小さい頃から
無意識にしてきたんでしょう。

世の中的には、
何かを美しいと感じる心、って
とっても大事なこと、
という感じでしょうけども。

僕の中にはあんまり見当たりませんね〜〜

いや、ないことはないのですが、
しょっちゅう、いろんなことに美しさを感じて感動する、
なんてことはありません。

人それぞれ説

あんまり感動しないタイプがダメなら
スイマセン、って謝るしかありません。

いや〜、なんかスイマセン。

でも、僕の中にそういうのが見当たらないのだから、
仕方ありませんねぇ。

それは背が高い人がいたり、低い人がいたりするのと
同じことなように見えます。

人それぞれ、ってことでしょうか。

こうじゃなきゃいかん、とか
こういう人間が素晴らしいのだ、とか
そういうことに興味がなくなっているのです。

特に、自分に対して。

他人のことはマ〜気になりますね。

まずは自分に甘く、、
というのが僕の基本方針ですから。。

まずは自分を幸せにすることが
世のためになると思い込んでいますからね〜〜

幸せの基準は存在するか

まずは自分を幸せにする、、と聞いて
ワガママで強欲な人をイメージするかもしれませんけども。

それとこれとは関係がありません。

ワガママが通るなら幸せなのか、
強欲で欲しいものが手に入るなら幸せなのか、
という問題がまず、あります。

自分を幸せにする、とはどういうことなのか、
まずは一から考える必要があるんです。

さっきの話で言うなら、
美しいものがわかる感性がある方が
やっぱり幸せなんでしょうか、
ってことです。

どう思いますか。

そんなの当たり前、
当然そうでしょう、
と思いますか。

結局、幸せの基準って
どこかに存在するものなのでしょうか。

って何の話でしたっけ〜〜

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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