ピロール農法の歴史!的な

ピロール農法にはもはや
半世紀の歴史があるわけですが、、

今日はピロール農法を作った人たちを
僕の知る限りで紹介します。

ただ、これは僕も聞いた話ですから、
本当に興味のある方は
株式会社エルゴンの黒田会長から
直接お話を伺うのがベストかと思います。

目次

紅い土とお引きどり米

70年代に福井県の農業試験場に勤務していた
寺島さんという方が
ピロール農法の基礎を作ったようです。

福井の灯明寺(とうみょうじ)というところに
福井のお殿様に献上するお米(お引きどり米)を
作っていた田んぼがありました。

その田んぼでは
春先に気温が上がってくると
田んぼの土が、
まるで牛を殺して血を流したように
真っ赤になったそうです。

そして何日かすると元の土の色に戻ります。

昔の田んぼは、
年によって出来不出来がかなりあったわけですが
その田んぼはそんな影響を受けにくく、
毎年それなりによく採れて、味も良かったのです。

それでお引きどり米として
お殿様に献上されて、
お殿様がそれを食べていたのです。

そんな田んぼの土を持ち帰り、
瓶に入れてひなたに置いておくと
やはり土が紅くなるのです。

寺島さんはこの土になんらかの微生物が存在して
作物のカルシウムなどのミネラルを増やす土にしている、
ということを突き止めました。

ピロールが面白くて、はや48年

寺島さんからピロールを受け継いだのが
現株式会社エルゴン会長の黒田さんです。

株式会社エルゴンでは
ピロール資材の製造と販売を行っています。

黒田さんは当時、アメリカに渡っていた
酒井弥(みつる)博士が福井に帰ってきたことを知りました。

そのころ、日本からアメリカに留学できる制度があったそうで、
その枠は年間二人だけ。
酒井博士はその一人に選ばれて留学していました。
帰国する際には新聞記事にまでなっています。

黒田さんは早速、
酒井博士に会いに行ったそうです。

ピロールのことを話すと
これはなかなか面白いですよ、、
と無償で(!)研究してくれたのでした。

95年、微生物の正体が
シアノバクテリアであることを発見して
ピロール農法の理論が完成したようです。

3冊の本も無償で執筆、
ピロール農法という
圧倒的すぎる技術が潰されないのも
酒井博士の様々なアイデアがあってこそ、のことでしょう。

うちの田んぼの土にピロール資材を入れて毎日パチリ。
緑色もシアノバクテリア。

ピロール農法を続けなさい

黒田さんはピロール資材を製造しましたが
何年もまったく売れませんでした。

ピロール農法を理解できる人が
誰もいなかったのです。

これでは生活できないと、
もうピロールの仕事をやめることにしたとき、
ご縁があったのが神門先生でした。

神門先生は黒田さんのピロールの話を
ひとしきり聞いてから、
それをやめるな、、と言ったそうです。

黒田さんはもうやめると決めていたわけですが、
それでも、やめるな、、と。

その技術はいつか必ず日本に必要になる、、と。

神門先生はGHQと日本の戦後処理にもあたった方。
日本の未来が全部、見えていたのです。

神門先生の強烈なエピソードの数々は
ちょっと書けませんけども。。

不思議なご縁で

ピロール農法がこうやって
綿々と続いているのは
不思議なご縁というほかにないでしょう。

その中で僕もピロール農法を知り
今もピロール米を作っているというのは
ありがたい話なのであります。

僕はピロール農法を特別に普及させたい、
とか思わないのです。

だけど、必要な人には
届いて欲しいと思います。

だからこのピロールの火を
絶やしたくはありません。

それで毎日、
嬉しい顔してピロール米を食べ
田んぼの様子を見に行って
畑にピロール資材を撒いて
YouTubeを撮り本を書き、、
ということをしているのです。

「かつて人在りき」
神門先生の記念碑と黒田会長。
みんなでお墓参りに行ったのです。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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