僕は自給自足に憧れていました。
3.11が起こって、それまでも薄々感じていた社会の違和感がはっきり見えるようになりました。
自分の生き方ができなくなるような社会の仕組みがそこにあって、ずっと僕が感じていた生きにくさは間違いではありませんでした。
だから、社会のシステムから少し離れることを考えて、自給自足ということに興味が湧いたのです。
やりたくない事はやりたくないし、できない性分です。
僕にとって、金を稼ぐのが、会社に行くのが、嫌でたまらなかったのです。
だから、そこからそっと離れることを計画しました。
それで今に至ります。
僕のことを紹介するのに、山の中で自給自足している人なんてよく言われますが、全然そんなことありません。
むしろ今は、自給自足には興味がなくなってしまいました。
追求すればするほど、自給自足は難しいというか、無理なんです。
そして、今すでに、大きく見れば地球全体で自給自足しているわけで。
いや、自給自足でない瞬間なんて人類史の中であったのか、って思っちゃうのです。
米を作っています、野菜も少々。
湧水はその辺にあります。
塩も作ったことあるけど、かなり面倒なので今は買っています。
味噌や調味料はかなりの部分が手作りです。
鶏を飼っていました。
麦やそばも作りました。
箱罠でイノシシを獲ります。
そういえば、なたね油を作ったこともあります。
食べるものに関してはいろいろしてきました。
だけど、やればやるほど何か違和感を感じます。
それは例えば、その時に使っている道具とか、そういうもののことです。
仕事をするためのあれこれです。
僕が道具を「イチから」作れるわけではありませんから、既にお膳立てが整った状態でスタートしているに過ぎないのです。
トラクターなんか、自分で作れるわけありません。
いや、鍬や鎌ひとつ作れません。
燃料だって、その辺を掘っても出てきません。
今着ている服だってそうです。
昔はこの村でも麻を作っていたようですが、僕にはそんなことできません。
住んでいる家だって考えれば考えるほど難しいです。
小さな小屋はいくつか建てましたが、その柱材はどう作ったらいいでしょうか。
結局、僕には何もできないのです。
全部、お膳立てされた状態で遊んでいるだけだったのです。
お膳立てとは、僕以外の世界のみんなが、僕の代わりにそれをしてくれているということです。
それぞれの得意なこと、できることをしてくれているから、僕は自給自足もどきの遊びを楽しんでこられたのです。
そしてよく考えたら、それって昔から、ずっとそうなんです。
村で生産できない、足りないものは、よその村からもらうなり、どうにかするしかありません。
物々交換なのか、お金で支払うのか、労働で返すのか、どうにかして分けてもらうしかありません。
昔からそうしていたのです。
現代でも、食料自給率がすごく高い国もありますが、それでもどんな食べ物でも生産できるわけではなくて、気候の関係で作れないものはたくさんあります。
自分では作れないけどどうしても欲しいものは、よその国から分けてもらうしかありません。
そのために外交や貿易が必要なわけです。
昔から世界はそんなふうに回っていました。
今もそうです。
もちろん、それが完璧にうまく回っているかというと、そうは見えません。
だけど、自分にできないことを誰かがしてくれている、というのは事実なんです。
人類は昔から集団で生活してきたわけです。
それは一人一人では弱いからです。
集団でしか生きられなかったのです。
みんなでそれぞれのできることを持ち寄って暮らしてきたのです。
そして、それは今、この瞬間も、そうなんです。

ではまた明日〜
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