耳タコすぎる観念の話

なんで、むらも農園て名前なんですか?
ってたまに聞かれるんですよ。
だけど名前の由来はあんまりないんです。
その時の気分で、適当につけました。

だけど、誰かにそう聞かれたら、
ちょっと足りないんです、
って、よく答えています。
本名は村本なんですが、
ちょっと足りないんです、と。

そしたら、相手の多くは気を遣ってくれて、
いやいや、そんなことないですよ
って言ってくれます。

あ、それ、観念です。
いつもいつも書いている、観念です。
耳タコな観念の話です。

なんで、そんなことないですよって、
反射的に言っちゃうんでしょうか?
それは、ちょっと足りないことが良くないことだ
という観念を持っているからです。

僕だったら多分、
そんなふうに言われたら
それめっちゃ面白いね!って笑っちゃいます。
もちろん、相手は選びます。
そんなことを言える相手はなかなかいません。
普通はムッとしちゃうでしょうから。

こうあるべきだ。
こういう事はいけない。
こっちのほうがいい。
こっちの方が価値がある。
金はなるべく多く稼げる方が偉い。
1等賞が1番偉い。
何でもできる、何でも知ってる方が偉い。
学歴は高い方がいい。
怒ってはいけない。
いつも微笑みを浮かべなくてはいけない。
いい人でなくてはいけない。
早起きできない人はダメな人。
健康でなければいけない。
道路に飛び出してはいけない。
ルールを守らなければいけない。

僕らの人生は、あらゆる観念に縛られています。
言い方を変えれば、
観念は僕らの人生の可能性を狭めます。
あらゆる瞬間に、無限の可能性がある。
だけど、観念がその可能性を狭めます。
無限の可能性の中から
自分が選ぶべきことを
観念がザックリと決めてしまうのです。
人生は観念というたくさんの条件付けによる自動運転です。
それを性格とかアイデンティティとか呼んでいます。

だけど、観念が悪いわけではありません。
実際には怒らないほうが良いでしょうし、
微笑みを浮かべていた方が良いでしょうし、
お金があった方が良いでしょうし、
健康なほうがいいし、
道路には飛び出さないほうがいいし、
ルールは守ったほうがいいと思います。
だけど、同時に人生の可能性を狭めているのも事実です。

ちょっと足りないむらも農園、なんて言われて、
そんなことないですよって
反射的に言うのも、その裏には観念があるからです。
これは、そう反応しちゃいけない、
言っちゃいけない、なんて話ではありません。
だけど、その条件反射的な対応で、
人生の99%はできているのです。
人生が劇的に変わることが、普通はないのはそのためです。
人生には常に無限の選択肢があるのに、
未来はいつも過去と現在の延長にあります。
人生は何も変わらず、僕は僕のままです。

そして、自分が持っている観念には、
自分ではなかなか気がつけません。
観念は思い込みであって、
思い込みは思い込んでいるから思い込みなのであって、
そんな思い込んでいるようなこと、
自分でなかなか気がつけないのです。

ま、だからどうした、という話でもあるのですが、
僕はそういうこと考えるのが好きなのです。

あ、最後に一応、、
観念を持つ事が悪い、ということではありません。
もしも、観念を持つことが悪いことだと思うのなら、
それも観念ですよ、ってことです。
ってこれ、めっちゃ面白くないですか。
伝わります??
僕、書きながら
ダハハハ〜って笑っちゃうんですけど、
皆さんはどうですか。
いや、これ笑えない人はわかってないナァ、
とか言ってるんじゃないですよ。
それも観念ですww

あ、もう一つ、
人生が縛られて、
人生の可能性が狭められて、
人生が変わらないこと、
これってやっぱり悪いこと、
ダメなことなんでしょうか?
皆さんはどう思いますか?
あるいはそれも、、??

ピロールのアスパラ菜っちゅうのが売ってて、奥さんが買ってました。
アスパラ菜って一体なんだと思ったら、
アスパラガスとは全然関係ない植物なのね〜〜
そしてピロール、箸が止まりません。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

目次