言葉の難しさ、言葉の裏側

環境保護の活動をしている方が
「浄化」という言葉をよく使いますが、
個人的にはよくわからないのです。

地球はただただ進んでいるだけで、
そこに善い悪いは無さそうな気がするのです。

そうなこと言ってると
怒られそうですけども〜〜

目次

地球を構成する僕ら、その価値

「地球」というものには
僕ら動植物や微生物はもちろん、
いわゆる生物でないものやら
いろんなものが含まれるのでしょう。

たぶん、みんな、
ただ生きているだけ、
そこに在るだけではないでしょうか。

善いとか悪いとか
無いような気がします。

人間でもいろんな人がいますね。

いわゆる聖人から極悪人まで
いろんな人がいるのでしょう。

でも、その善悪の物差しは
時代や文化によって全く違いますし、
物差しで計ることもなく、人間の価値は一定です。

〇〇だから偉い、なんてことは
一つもありません。

「善い」とか「悪い」とか、
「善悪」の物差しは
一人一人の頭の中にしか存在できません。

それは実在しない、
言ってしまえば「思い込み」です。

浄化という善いこと

だけど、浄化というと
「善い」イメージじゃないでしょうか。

僕にとっては
ここが引っかかるのです。

何かを「善い」とするならば、
必ずその逆が生まれます。

そう、「悪い」ことが
その瞬間に生まれます。

善いこと「だけ」がある、
ということは絶対にありません。

もしも、世界に善いことしかなかったら、
それを善いと思う、呼ぶ、名づける、定義づける必要がないのです。

だから、そこに善悪の観念はありませんし、
存在できません。

それはコインの表と裏の関係です。

表だけのコインってないでしょう。

コイン(観念)があれば
表(善い)と裏(悪い)が
必ず同時に存在します。

そうじゃないとコインは存在できません。

知らず知らずに決めつけている

何か物事を
これは善いことだと
思っていないでしょうか。

僕もそうだし、
世の中のたぶん全員が
そうしていると思います。

だけどそれは
(自分にとって都合の)善いことです。

普遍的に、完璧に、
善いことなんて
一つもありません。

大体そんなこと、
人間の頭で決めることはできません。
神業です。

そして、
何かを善いとしたときに、
悪いことがこの世に顕れます。

緑豊かな地球になった後に、生まれた

人間が環境を汚し
地球を破壊している、と言われています。

それを微生物や植物が
頑張って浄化してくれている、、と。

確かにそうなのでしょう。

でも地球の環境って
ず〜〜っと変化しているのです。

30億年前に
シアノバクテリアをはじめ
微生物が活躍しはじめた頃の地球は
僕ら人間からしたら
地獄のような環境でした。

もしも、その頃にタイムスリップしたら
1分も持たずに死んでしまうでしょう。

そんな世界を微生物が
「浄化」したのでしょうか。

いや、微生物はただ生きていただけ、
のように思うのです。
それは別に人間のためでも
緑豊かな地球のためでもなくて。

結果的に
緑豊かな地球環境になり、
そんな環境になった地球で
僕ら人間が生まれ、生きている、
というだけです。

人間も地球の一部ですから
人間が地球を汚しても
それは表現を変えれば「変化」とも言えます。

地球はずっと変化し続けていて
その中である種が栄え、
違う種は滅び、と繰り返しています。

人間もその種の一つです。

色眼鏡で行く、宇宙旅行

こういうことは表現が難しいですね。
またボチボチ書きますけども。

ま、言い方の問題であって
どちらが真実だ、ということではないのです。

だけど、知らず知らずに
思い込みという色眼鏡をかけていて
世界をその色でしか感じていないなら
それはもったいないようにも感じるのです。

だから、いつもの常識を揺さぶって
思い込みを炙り出したい、
というだけなんです。

そして、善悪という現象を通して、
僕らは宇宙まで旅することができます。

そんなことを想っているのです。

働く軽トラ!

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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