自給自足ってなんだ

自給自足ってよく言われるのです。

そう言われる意味はよくわかります。

米作ったら死なない気がしてきた、
とか言ってるわけですし。
言葉としてもイメージとしても
わかりやすいですしね。

だけど、個人的には
いわゆる自給自足にはあんまり興味がありません。

昔は興味ありましたけど、
最近はトント興味がなくなりました。

自給自足なんて、
目指すまでもなく、
すでにそうなっているから、です。

そう気づく以外に
できることはないのです。

目次

どこまでも自給自足

昔の人は自給自足の生活をしていた、
なんて表現をします。

村のみんなで助け合って
必要なものを作って、生きていく。

現代は必要なものはお金で買いますし、
それが、どこで誰がどんなふうに作ったのか、
非常に見えにくいですね。

だから、いわゆる自給自足に憧れるんでしょう。

金さえ出せば
ブラックボックス的4次元ポケットから
なんでも取り出せるような現代です。

でも、、

村の中だけで
自給自足の全てが完結していたかっていうと
そんなこともなかったでしょう。

村の中だけでは確保しきれないものが
大抵の場合あるのです。

山の村に海の幸はないし、
海辺の村に山の幸はないのです。

そして足りないものは
村の外から調達するしかありません。

だから、自給自足って結局
僕らが考えるよりも
もう少し範囲を大きくして考える必要があります。

自分だけの自給自足よりも
村全体の自給自足。
隣の村まで入れた自給自足、
隣の国まで考えた自給自足、
世界全体で自給自足、、

小さな単位で自給自足は弱いですが
大きく考えれば自給自足は強くなります。

だから村の外や国の外との外交が大事で
それも含めての自給自足です。

そして世界全体で見れば
自給自足していない瞬間など
人類史上、1秒だってありませんでした。

大きく見れば
常に自給自足しているのです。

必要なものは
誰かがどこかで作ってくれていて、、

というかそこにあるものだけで
生活しているのです、
太古の昔もグローバルな現代も。

今はものがたくさんあって
そう感じにくいけども。

問題の底

世界全体で自給自足しているなら
それでなんの問題もないでしょう。

でも、みんな不安になります。

多分、自給自足したいって人も
動機はそんなところの人が多いでしょう。

食糧危機が、、とか言われて
自分で作らなきゃ、、って思うんです。
僕もそうでしたから、
その気持ちはわかります。

でもその不安の原因はなんでしょうか。

それは、、

死ぬのが怖いってこと。

死ぬのが怖いから、
みんなこれは自分のものだって
主張するのです。

食料を大きな屋敷の保管庫に
たっぷり溜め込んで。

でも、いくら貯めても安心など
できないのです。

ただの理想論ですが、
全ての問題は死の恐怖が根底です。

それさえ解決できれば
あらゆる問題は消えてしまいます。

ただの理想論ですが。

じゃあ、死の恐怖ってのは
一体なんなのでしょうか。

今日はこのくらいにしましょうかね。
ちょっくらバイトです。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

目次