観念せいや〜〜!?

今日のタイトル、
別に落語に出てきそうな
江戸っ子ってわけじゃないのです。

観念のことをずっと考えてると
あれ、観念って
観念せいや〜〜の観念だな、とか思って。

どっちも同じ言葉じゃん、
日本語って面白いな〜と思ったのです。

今日はそんな話。

耳タコな耳をさらにカチカチにします。

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もうそこしか道はない

観念せいや〜〜
ってのは、
もう諦めたらどうや、
っちゅうことですね。

観念する、諦める。

観念ということをず〜っと考えていくと
最後には諦めるしかないのです。

まさに、観念せいや〜〜、です。

あらゆる方向を検討して、
もう検討できる余地はなく、
観念して諦めるしかないことに思い至るのです。

それは諦めの境地、です。

いわゆる禅

そう言えば、、

禅問答ってのもそんな感じなんですね。

答えの出ない問いを
わざと用意して、
それについて考えて考えて考えまくる。

でもいくら考えても、
答えは導けないのです。
それは初めから、そういう問題だから。

両手でパンと叩いた時に
どちらの手から音が出てるかなんて、
クイズとしては間違っています。
答えがないからです。

どう頑張っても、
最後には諦めるしかなくなります。

それを敢えて
ずっとやるのです。

禅は諦めの境地に至るための
体系的なレッスンである、という話を
聞いたことがあります。

日本には昔から
そういうカリキュラムがあった、
ってことで
これも興味深いです。

仕方ない

諦める、とか
仕方ない、とか
なんだかネガティブに聞こえるのは
なぜでしょうか。

それは多分、、

欧米の影響じゃないかと。

いわゆるフロンティア・スピリッツ、開拓精神。
そういうポジティブな考えが良いとされています。

でも、、
欧米の歴史はきな臭いことが多く
それは侵略の歴史でもあります。

もしかしたらそれって、
この村を搾取し尽くしたら
次の村があるさ〜〜ってこと、
かもしれません。

それが、
フロンティアスピリッツや
前向き、ポジティブ、
という気風を生んだとしたら、
ちょっと怖いですね。。

反対に、日本にはもともと、
「一所懸命」という言葉があります。

日本人はずっと米を作ってきましたから
その土地から離れることができないのです。

それは「仕方ない」ことなのであります。

日本人が保守的で、
風習を簡単に変えられなくて、
基本ネガティブ、なのは
そんな歴史的な背景があるような気がします。

この土地を守らねば未来はない、
という感覚をどこかで持っているのです。

観念せいや〜〜

って、何の話でしたっけ。

観念せいや〜ってワードが
個人的にツボにハマった、という話でしたかね。

ことあるごとに
自分自身に言ってみるのです。
観念せいや〜〜、と。。

なんか、面白くないですか??

真面目に言うならば、
それは、真実を知りなさい、
ということであります。

それが「考える」ということです。

そんなことを
自分に言い聞かせるのです。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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