食器洗剤は要るか問題を「考える」

我が家では、
食器を洗うときに
あんまり洗剤を使わないのです。

ぬるま湯で流しながら
スポンジで洗うだけ。

多少、油を使ったものでも気にしません。
特に問題ありませんね。

え〜〜、なんて言われたりしますが、
うちの食器を使ったことある方で
なんかヌルヌルするな、、と
思ったことある方はいらっしゃるでしょうか。

もしいたらスイマセン、
って感じですが、僕は全く感じませんね。

ホンマに油ギットギトなら
洗剤でもなんでも使いますけども、
味噌汁に油揚げが入ってたとか、
軽い炒め物とか、くらいなら
洗剤なしで問題ないと感じます。

だって、食事をするときに
洗剤を使って洗った食器かどうかなんて、
判別できないのです。

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自分で決めてるようで決めてない

たぶん、、

世の中の大半の人は
キュッキュ病だと思うのです。

キュッキュ病はテキトーすぎる僕の造語ですが
お皿を洗ったときにキュッキュとならないと
洗った気がしない、みたいな。

それってただ、
洗剤会社のマーケティングに
乗せられてるだけじゃないの、
って思っちゃう僕は
心根が曲がってるんでしょうか。

日本の台所に洗剤が登場したのがいつ頃なのか
僕は知りませんけども、、、

いや、その前に
日本の食卓に油を使う料理が登場したのが
いつ頃なのか、、って話でしょうか。

昔はどうしてたんでしょうね。

毎回毎回、洗剤で食器を洗ってたんでしょうか。

日本人みんなが
キュッキュし始めたのは
いつ頃からなんでしょうか。

世の中って全部マーケティングじゃない?

マーケティングと言えば、
バレンタインデーみたいなものですかね。
恵方巻きとか。

たまにはそういうのも
楽しいかもしれませんけども。

全部ただのマーケティングと思ったら、
絶対にしないといけないもの、、
という感じではなくなってくるような気がしますね。

バレンタインにチョコを贈るのはやめます〜
みたいな人が増えてきているのは
僕は素晴らしい傾向だと思いますね。

年賀状をしまう人が増えてきてるのも、同じ。

自分にとって必要か、
自分で判断するんです。

マーケティングに乗せられてるのって
その業界に判断してもらってるわけで
自分で判断していないんです。

食品業界、小売業界的には、
バレンタインデーには
皆さんにチョコを贈ってもらった方がよろしい、
という話ですが、
自分的にはどうか、ってことです。

必要なら必要、
不必要なら不必要、です。

よくよく考えると
365日24時間、ほとんど全ての行動を
自分で決めているようで決めていなかったりします。

めんどくさいから

自分で決めるのって、
すごくめんどくさいんですよ。

頭を使いますから、腹が減りますよ、
いやホンマに。。

とにかく自分で考えて
自分で決めて、
自分で実行する、、

これはものすごく面倒なことです。

人間は同じことをずっとしたがるのです。

脳が体内の臓器で一番エネルギーを使います。

学者さんとかで太ってる人、
あんまりいないでしょう。

いつもと違うことを考えるのって
エネルギーを使って疲れるんです。

原始時代なら
そんなことばかり考えてたら
生存競争に残れなかったかもしれませんね。

だから、ずっと同じことを繰り返すのです。

ちなみに、、
「考える」と「思う」は違います。

世の大半の人は思っているだけ、
自分で判断していないんです。

これはこうなんじゃないの、、って
マーケティングや世の常識や他の人に教えられて
そう「思ってる」だけです。

毎回洗剤を使って洗うものだと、「思って」います。
バレンタインにはチョコを贈るものだと、「思って」います。
年賀状は毎年出すものだと、「思って」います。

それを疑って
自分にとって必要かどうかを判断するのに
「考える」のです。

幸せな支出削減

考えて考えて考えて、、

そんなことをしていると
支出が勝手に下がっていきます。

大抵の人にとって
自分にとって本当に必要なものって
すごく少ないのです。

必要なものが減ると勝手に支出が下がります。

どんどん生活が楽になります。

気づいたら好きなことをしてる、、
みたいなことになってたりします。

今まで、自分の毎日を
他人に決めてもらってたのですから。

それをやめていくと
自然と自分のしたいことが残っています。

無理して
好きなことをする必要なんて
全くありません。

自己啓発とか要りません。
ときめく必要もありません。
ポジティブでいる必要もありません。

勝手にそうなるんです。

そんな生活、どうですか。

雨が降って山は白くなります

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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