「探求する」という言葉に最近出会いました。
言葉自体はもちろん、知っていたわけですが、
その言葉が今の自分にピッタリじゃないかと思ったのです。
言うなれば僕は「しょぼい百姓」の探究者だったんです。
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誰でもそうですが、
間違えたくありません。
文章を書いたり、YouTubeで喋ったり、
いろいろ表現していますが、
その時に感じていることを形に残しています。
それらは人に見られる、読まれるわけですから、
なるべく間違えたくはありません。
だけど僕は全てを知っているわけではなくて、
全ての答えに辿り着いているわけではなくて、
その時にベストと思われるものを吐き出しているだけ。
当たり前のことですが、、
そんなことに今さら気づいたのでした。
そして、それは僕だけじゃなくて
誰だってそうですね。
しばらく書いてませんでしたが、そんなことを思って
文章が書けなくなっていた、
ということもありそうです。
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他の人にはわからないけども、
僕にはわかる、、
ということがあるようです。
それも誰だってそうです。
日の目を浴びるかどうかは
単に生まれた時代によるでしょうけども。
道なき道が僕には見えるんです。
探究に没頭する、その道を進みます。
だけど、ふと後ろを振り返ると誰もいない、、
みたいなことを感じることがあります。
誰もいないのです。
みんなどこかで道草しているようです。
それも悪くないのですが、
先にどんどん進みたい探究者としては
ちょっと歯痒く感じるところであります。
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時代のエネルギーとでも言いましょうか、
それはまだまだ弱くて。
それは世界を変えるエネルギーです。
みんながそれを内に秘めていることに
気づかないのです。
だけど、いつか必ず
そんな力に気づかざるを得ないのです。
みんな元々そこにいて、
いつか、そこに戻るだけ、だからです。
それは一人残らず、全員がそうなんです。

ではまた明日〜
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